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の・ぶ・ろぐ   ・・・・・・・・・・  作曲家・信時潔の人と作品に関する最新ニュースや、日々思いついたことなどを書いています。
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信時潔作曲「絃楽四部合奏」の楽譜を出版しました。
作曲からおよそ90年を経て、初めての出版です。

この作品は、1920年~1922年のベルリン留学中に作曲され、
妻・ミイによる浄書譜が残されていたことから、
これまでに数回演奏されましたが、楽譜が出版されたことはありませんでした。

今年6月のセントラル愛知交響楽団による演奏を機に、指揮者の齋藤一郎先生、
セントラル愛知交響楽団、そして同公演のパート譜作成を担当された
楽譜作成工房「ひなあられ」の岡崎隆さんにご理解、ご協力いただき、
楽譜刊行に至りました。

現在確認できる各種資料を比較検討した校訂報告(4ページ)を付けています。

―――――――――――
信時潔作曲『絃楽四部合奏』
   
発 行: JKStairS   
発行日: 2013年10月20日 

 ※ 企画・校訂: 信時裕子
     楽譜制作:楽譜作成工房「ひなあられ」 
    (全32ページ) 演奏時間 約11分
―――――――――――


楽譜店では、アカデミア・ミュージック 
https://www.academia-music.com/
が扱っています。
1部 1,200円(税別) 【限定50部】


JKStairS 扱い特別頒布をご希望の場合は、下記までご連絡ください。

  連絡先:JKStairS      
 メール   infonobutoki-kiyoshi.sakura.ne.jp
                   (■を@に変更してください)
  FAX   020-4622-3032
PR
今は、You Tube などでも、信時作品はいろいろ聴けるようですが。

なかでも、大正時代に作られた作品が現代に生きているってことかなあと
感心したのが、この「あかがり」です。

素晴らしい!

【KAITO】あかがり
http://youtu.be/UQwyEtzRgSQ
放送された「国民合唱」や「海ゆかば」について、当時の新聞、「放送研究」「放送人」を始めとする雑誌、書籍や証言を集め、整理し、分析した単行本、竹山昭子著『太平洋戦争下 その時ラジオは』( 朝日新聞出版)が、「週刊読書人」2013年9月27日号に取り上げられました。

碓井広義・評「放送のもつ意味と意義、危うさも次代へと伝える」

クラウス・プリングスハイムの生涯を書いた加藤子明著『日本の幻想』(乾元社 1950)の中で、海道東征をどう聴いたのかを示す部分を見つけました。


「この年は、各国参加のもとに行われた国際芸術祭に於ける日本楽壇の名声が、高く上ったのである。クラウスはそれが二つの偉大な作曲によって象徴されたと思った。それは信時潔の教会交声曲(※カンタータ)「海道東征」と、山田耕筰の歌劇「夜明け」である。日本の楽壇は、そのとき模範的な演奏で発表されたこの二曲によって、蓄積した実力を十二分に発揮したのである。それは何れもこの時までの日本楽壇の、輝かしい発展の成果であった。」(p.297)


  ※「教会交声曲」の横に「カンタータ」のルビが振られています
「沙羅」の第二曲「あづまやの」の歌詞について、問い合わせがありました。

以前にも、同じ問い合わせをいただいているので、
本家ウェブサイト「信時潔研究ガイド」の雑記帳に記録しました。

複数の資料を調べた結果、「さみだれを」ではなく「さみだれに」で良いのではないか、
というのが、私の結論です。

詳細はこちらです。

http://home.netyou.jp/ff/nobu/page089.html#lcn032
この秋、信時潔の自筆譜が2点、展覧会に出品されます。

「大礼奉祝合唱歌」出品   
  東京藝術大学附属図書館貴重資料展 高野辰之展 唱歌「ふるさと」の原点をたずねて 

「海ゆかば」出品   
  五線譜に描いた夢 -日本近代音楽の150年」展


日程ほか、詳しくはウェブサイトの「演奏会・イベント情報」ページをご覧ください。

http://home.netyou.jp/ff/nobu/index.html
野村胡堂記念館訪問記の続きです。

訪問した当日は、SPレコードコンサートが開かれる日でした。
資料の閲覧を終えて、展示室方面に戻ると、お客様が集まり始めていました。

思いのほか「大きな駐車場」(第二駐車場まである)の理由は、このレコードコンサートお客様、それも常連さんがかなり集まるため、だったようです。

 地域の偉人を顕彰した記念館で展示するだけでは、そうそう繰り返し訪ねる人はいないでしょう。 それだけではなく、独特の味わいのある蓄音機、SPレコードを聴きに集まる方がいらっしゃるのでした。
今日のプログラムは「メニューイン」。バッハやモーツァルトの協奏曲を中心に約2時間。解説・講演する侘美淳教育長は、岩手大学卒業後音楽の教師、中学校長などを歴任し、紫波町の教育長となられた方だそうです。

入場料はコーヒー代の200円。大体毎月1回行われているようで、7月は第217回でした。

私は残念ながら、この日は時間がなくて、午後2時からのレコードコンサートは聴くことができないと諦めていたところ、館長自らが特別に レコードをかけて聴かせてくださいました。

 

SP音源復刻・・・といった仕事をしましたが、実はホンモノの蓄音機で聴く機会はあまりありませんでした。

独特の響き。正面で聴くと意外と音が大きいのに驚きました。パチパチ音はするものの、それを超えるアナログの魅力、蓄音機の魅力を語る人の気持ちがわかりました。

「針を通せば必ず盤は傷むのだけれど、レコードを持っていたって聴かなければしょうがない」と館長・野村さんが仰ったのが印象的でした。

受付横の販売コーナーには、『野村胡堂・あらえびす来簡集 : 明治・大正・昭和を彩る交友録』『野村胡堂・あらえびす関係記事目録と件名索引』など、記念館が発行した図書、目録、記念館の協力で完成した野村胡堂・あらえびす関係書籍などが並び、本当に「良い仕事している」ことが見えました。

音楽好きな方なら、是非一度、訪ねてみることをお勧めします。
バスは一日に2本ですが、「日詰駅」で降りれば、 駅前にタクシー会社あります。
日詰駅からは、車で10分程度です。

野村胡堂・あらえびす記念館
http://kodo-araebisu.jp/




野村胡堂(あらえびす)像を囲んで。
左から、大角欣矢教授、筆者、侘美淳教育長、野村晴一館長、岩手大学・木村直弘教授

7月20,21日に、盛岡を再訪しました。



以前訪ねたことはこのブログの、「海道東征の手書きスコアが盛岡に?」http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/41/ に書きました。



今回は、芸大で進められている「信時潔文庫」の本格的整理に伴い、関係の深い資料の調査ということで、再び岩手大学に「海道東征」を見に行きました。

岩手大学で保管されている「海道東征」の調査結果は、

科学研究費助成事業 http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/127/ として、

まとめていく予定です。



加えて、今回訪ねたのが、盛岡から電車とバス(タクシー)を乗り継いで車で1時間弱の岩手県紫波町にある「野村胡堂あらえびす記念館」。



少し前に、畑中良輔先生の最後の本『荻窪ラプソディー : ブル先生の日々是好日』(音楽之友社)を読んでいて、同館に野村胡堂宛ての書簡が整理・保管されていることがわかったので、信時関係のものが何かあるかと、問い合わせてみました。



さっそくお返事をいただき、野村胡堂宛ではないが、田部井石南宛の書簡が残っている、とのこと。なぜそこにその書簡があるのか、状況はよくわからないのですが、とにかく閲覧に行くことにしました。



岩手県紫波町、田畑や果樹園が連なる地区の山の上に、素敵なデザインの建物と大きな駐車場がありました。(何故そんなに大きいのか、あとで判りました)



展示室を一回りした後に、書簡3通を見せていただいたところ、2通は『信時潔音楽随想集 バッハに非ず』(アルテスパブリッシング)巻末の執筆一覧に掲載した田部井石南(画家)の個展に寄せた文章の元原稿であることがわかりました。

残る1通は、同様のものですが掲載記事は未確認のため、調査中です。



何故、この書簡が野村胡堂記念館にあるのか、それが疑問だったのですが。
同館の野村晴一館長(野村胡堂の弟の孫に当たられるそうです)に伺い納得できました。



田部井石南と野村胡堂は、軽井沢の別荘が近く、軽井沢での交友を始めとして生涯親しく行き来していた。田部井氏が、奥様を事故で亡くされた時には、失意の同氏を慰めるために蓄音機とレコードを贈って慰めた。胡堂は田部井石南の絵の才能を認め、絵の道に進むように勧め、支援した・・・ということです。



信時潔とは、話が合ったのか、信時家との交流も深く、家にもよくいらしていたようで、私も家族から「田部井さん」という名前を頻繁に聞いていますし、写真もいくつか残っています。



野村館長のお話を伺うまで胡堂と軽井沢につながりに気づかなかったのですが、もう30年近く前になりますが、軽井沢の田部井氏の別荘にインタビューに伺った折に、野村胡堂の名前が挙がっていたことを思い出しました。



田部井氏のレコードや書簡などの資料が同館に移管されたそうで、書簡の整理はこれから本格的に始まるそうです。





田部井石南
(明治31~平成6) 日本画家

大山郁夫に師事、労農党で政治活動を行う。人民戦線事件で拘束。その後、河合玉堂の塾に入って絵の道に進んだ。軽井沢で胡堂に会い、個展や作品の頒布に、胡堂が協力した。 



                                   (つづく)




























東京藝術大学附属図書館「信時潔文庫」の本格的整理が始まりました。

信時潔に関する基礎的研究──作品・資料目録データベースの作成と主要作品の研究」
 → 科学研究費助成事業データベース

 研究期間 2013年4月~2017年3月(予定)


京都大学名誉教授の上田正昭先生が、日本と韓国の古代交流史について
執筆なさるにあたって、信時潔の肖像写真を使いたいという連絡をいただき、
先日、出来上がった本をお届けいただきました。

上田正昭著「古代の日本と百済の文化―善隣友好の象徴」の中の
「朝廷で活躍した百済人」の見出しの下に、
百済王敬福と「海ゆかば」のかかわりが書かれています。

前の記事に書いた共益商社書店「戦時特別品」五線紙。太平洋戦争の「戦時」らしいと書きましたが、訂正します。

昭和11年にはこの五線紙を使用していたので、いわゆる真珠湾攻撃(昭和16年12月)から始まった「太平洋戦争」以前ということになります。

信時潔作曲「大寺の」という合唱曲は、昭和11年11月8日に作曲されたことがわかっています。

その自筆譜が、共益商社書店「戦時特別品」五線紙に書かれていました。

五線紙というのは、書籍や楽譜等出版物の「何年発行」というのと違って、印刷された後の、いつ使っても良い----つまり「戦時特別品」五線紙を使用して昭和16年に作曲することも、平成25年に作曲することも可能---なので使用した年代がわかるものの中で一番古いもの、と絞っていかないといけないところが難しいところです。

今のところ、共益商社書店「戦時特別品」五線紙は、昭和11年以前のもの、ということがわかりました。

より古い使用例が見つかったら、また紹介します。


  この記事の続報 → http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/161/










共益商社書店の「戦時特別品」と書かれた五線紙があります。

普通に考えれば、「戦時特別品」の「戦時」とは、いわゆる太平洋戦争でしょう。

ところが、この五線紙が使われた時期が、あまり定かでないものが多く、気になっていました。

たとえばおそらく留学中(1920-1922)の作品であろう「絃楽四部合奏」の浄書譜が

この用紙に書かれていて、その時期になぜ浄書しているのか?書き溜めたものを

その時期に浄書始めただけのか?

ちょっと疑問に思っていたところ、某サイトに、戦時とは日露戦争か?、という質問が出ていたので、この「戦時特別品」五線紙が、明治、大正時代のものである可能性もあるのか?!、と気になって調べてみました。

たとえば信時潔の「絃楽四部合奏」のスコア、パートの浄書譜(妻ミイによる浄書)の場合

五線紙には

-------------------

(戦時特別品) THE KYOYEKISHOSHA Publishers & Book-Salers, Shiba, Tokyo.

東京芝三田松本町四十四番地 合資会社 共益商社書店

大賣捌所 東京新橋 共益商社

-------------------

と印刷されています。 (※注1)

共益商社、共益商社書店については、赤井励著「オルガンの文化史」(青弓社 1995) の

「島崎赤太郎の一生」の項に詳しく書かれています。

共益商社創業者の白井練一(1846-1924)の四女、元(もと 1885-1973)は、島崎赤太郎夫人だそうです。

この情報をもとに、国会図書館デジタル化資料にある共益商社、および共益商社書店等の 名称と所在地を確認してみました。

1 明治17 1884年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/764836/16 東京芝区宮本町二十九番地 共益商社

2 明治36 1903年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/843750/68 京橋区竹川町十三番地 共益商社

3 明治40 1907年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/854810/45 東京市京橋区竹川町十三番地 合資会社 共益商社楽器店

4 明治41 1908年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/902580/31 東京市京橋区竹川町十三番地 合資会社 共益商社楽器店

5 明治44 1910年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/854747/54 東京市芝区芝公園十八号地五番 合資会社 共益商社書店

6 大正7 1918年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/980407/90 東京市芝区松本町四十四番地 合資会社 共益商社書店

7 大正8 1919年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954189/16 京橋区竹川町 共益商社 ※官報. 1919年07月07日 楽器の広告

8 大正13 1924年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/925798/47 東京市芝区松本町四十四番地 共益商社書店

9 昭和13 1938年 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1461652/154 東京市芝区松本町四十四番地 共益商社書店

つまり、楽器店になった系統の「共益商社」又は「共益商社楽器店」(京橋区竹川町。現在のヤマハ銀座店)【楽器販売系】と、

元は教科書会社で、オルガン普及を手掛けたこともあるが、その楽器部が独立(実際はヤマハが買収)した後も出版事業を継続した「共益商社書店」(芝・松本町)【楽譜出版系】の二つの系統があったようです。

とすると、「絃楽四部合奏」の「戦時特別品」五線紙の場合、

芝松本町の「共益商社書店」 は【楽譜出版系】

大賣捌所 東京新橋 共益商社 は【楽器販売系】

ということなのかもしれません。

今回見た国会図書館デジタル化資料では、「大賣捌所」として新橋・共益商社の名が挙がっているものを見つけることができませんでした。

「戦時」は、日清日露戦争などではなく、いわゆる太平洋戦争の「戦時」と考えてよさそうだというのが今日の結論。(→後日談ありますhttp://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/125/

たぶん「戦時」期の『音楽年鑑』(国会図書館デジタル化資料に昭和16年版あり。ほかに復刻版も出版されている)などで、楽器店、楽譜出版社などを調べていくと、もう少し詳しく確認できるでしょう。

また、信時潔資料でどのような五線紙を使っているのか、もう少し調査が進むと別の例も出てくるかもしれません。

 
  この記事の続報 → http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/161/



















本家ウェブサイトの特設ページ
「ベルリン 信時潔ゆかりの地をたずねて」を
公開しました。

旅の記録と写真を掲載しています。

http://home.netyou.jp//ff/nobu/page088.html



セントラル愛知交響楽団が「絃楽四部合奏」を演奏します。

今回は、指揮者の齋藤一郎氏の意向で、コントラバスを追加した弦楽5部で演奏するそうです。

2013.6.29(土) 13:45開場/14:30開演
特別演奏会~高田三郎生誕100年記念~高田三郎とゆかりの作曲家たち

絃楽四部合奏 (弦楽五部合奏編曲版)
   演奏:セントラル愛知交響楽団
   指揮/齊藤一郎  

チケット申し込みなど詳細は
http://www.caso.jp/schedule/special/index.html



11月に発表した「信時潔作品表」の訂正です。

「生誕125年 信時潔とその系譜」プログラム
http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/102/   に掲載した
信時潔作品表(信時裕子編) p.36-43 の中の、
p.41 の 4.唱歌・童謡・教科書のための歌 の4曲目です。
 
曲名 ふるさとの山  → 台湾の歌

(「ふるさとの山」は p.40の 1960年のところに掲載されている方が正しいです)


編集の折にカットアンドペーストで、違うものを貼り付けてしまったという単純なミスです。
すみません。

ちなみに、この「台湾の歌」は、芸大のOPACで印刷譜を見つけました。


昨年(2012年)9月に「帰去来」の楽譜を出版しました。
 http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/92/

同楽譜の「校訂報告」に詳細を書いたのですが、
校訂作業を進めていた時には、初演者に渡ったであろう浄書譜(それが決定稿)の
所在がわかりませんでした。

その後、柳川の白秋記念館から、「自筆譜」(と言われている手書譜)の
「コピー」が見つかったという知らせをうけました。
見せていただいたところ、自筆譜ではなく、ミイによる筆写譜であることがわかりました。

ただし、初演者が使ったものではなく、
初演から10年以上過ぎた昭和35年頃
演奏したいが楽譜がない、というような問い合わせにこたえて
信時家にあった浄書譜を送ったもののようです。

昨年校訂した楽譜で、判断した部分が、正しかったかどうか、
気になる部分を調べてみたところ、ほとんど判断したとおりで大丈夫でした。

ひとつだけ残ったのが ダ・カーポ or ダル・セーニョの件です。

昨年出版した楽譜は、結局、第40小節に「D.S. al Fine」(セーニョまで戻って、フィーネで終わる)の
指示をいれて、第3小節の冒頭に「セーニョ」の記号を置きました。
新たに見つかった楽譜は、第40小節には「Da Capo al Fine」とあり
しかも、第3小節の冒頭に「」の記号が付いています。

(自筆譜ではDa Capo al segno。詳細は「校訂報告」参照)

音楽記号ではない、この謎の*マークは、セーニョマークの代わりだろうと、私には思えるのですが。

Da Capo(冒頭に戻れ)と書いてあるとおり、曲の冒頭に反復記号も付いています。

第40小節から
「冒頭に」戻りたかったのか、それとも
「セーニョマークに」戻りたかったのか???

この謎は解けませんでした。




2013年3月13日から20日、ベルリン調査旅行に行ってきました。

1920年から1922年(大正9年から11年)にかけて、信時潔が留学したベルリン。
そのゆかりの地を訪ねての旅です。
下に表示されている地図の青い吹き出しがある地点が、
今回訪ねたゆかりの場所(+私が観た場所も少々)です。


より大きな地図 
Berlin-Nobutoki_Footprint を表示すると、
吹き出し地点の詳細情報を見ることができます。
(吹き出しの色が違うのは特に理由はありません。直し方がわからないので・・・)

各地点の記載順は、私が巡り歩いた順。
近日、その旅日記(?)をアップする予定です。





より大きな地図で Berlin-Nobutoki_Footprint を表示


2014年2月、熊本で「海道東征」上演されます。

 2014年2月11日 14:00 開演 
グルッポ・ヴィーヴォ特別企画 
信時潔/交声曲「海道東征」
山田和樹指揮 横浜シンフォニエッタ 
熊本県立劇場コンサートホール

独唱は、2002年オーケストラ・ニッポニカの上演時の春日保人さんほか。
ヴォーカルスコアの印刷・出版もなんとか間に合って
熊本では合唱練習がスタートするようです。
『正論』 2013年 5月号 (4月3日発売)に、
新保祐司、遠藤浩一両氏の対談「信時潔と日本近代精神」が掲載されています。
 
『バッハに非ず 信時潔音楽随想集』が出たのをきっかけに、企画された対談とのことです。




以下のサイトには、紙版(740円)だけでなく、デジタル版(680円)の販売もあります。
http://www.fujisan.co.jp/product/1482/?gclid=COP8tcHnsrYCFQkipQodz28A7Q

 『メディア史研究』第33号(2013年3月発行)に、
竹山昭子著 「海ゆかば」の軌跡―「協調」から「決意」、「讃仰」、そして「鎮魂」へ―
が掲載されています。


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*-*-*-*-*
CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成
tenkai-web.jpg






企画・構成・復刻:郡 修彦
構成・解説:信時裕子
CD6枚組、別冊解説書
(B5変形判 全144頁)
15,750円(税抜15,000円)
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