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の・ぶ・ろぐ   ・・・・・・・・・・  作曲家・信時潔の人と作品に関する最新ニュースや、日々思いついたことなどを書いています。

  「海道東征」初演や、レコード録音に参加した上野児童音楽学園については、たびたび書いてきました。

  CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』 の解説書p.121の「上野児童音楽学園」の項は、『東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻』(音楽之友社 2003)p.1069~1122 と、 『洋楽放送70年史 1925-1995』(洋楽放送70年史プロジェクト 1997) p.35 および当時の『音楽年鑑』を参考にしました。

 この秋、東京藝術大学の広報誌『藝大通信』19号(2009 September)に、 

 上野の杜の波瀾万丈  第八回 上野児童音楽学園/橋本久美子著

が掲載され、上野児童音楽学園について、詳しく、わかりやすく説明されています。

 とくに、今回は永く芸大百年史のお仕事をされてきた、橋本久美子さん(東京藝術大学音楽学部講師)が、学内の資料を丹念に調べ、また当時を知る方にインタビューした結果がふんだんに盛り込まれています。児童音楽学園で教鞭をとった講師や、児童合唱で非常に好評を得たこと、そしてなによりも、児童音楽学園から、東京音楽学校に入り、その後の日本の音楽界をリードしていった人々の名前がたくさんあがっています。

 この広報誌は東京藝術大学内で配布されますが、いずれは下記サイトでも、その全文が公開されるはずです。

  http://www.geidai.ac.jp/guide/issue/geidaimsg/index.html 

 

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CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』解説書では、人名もかなり詳しく調べたつもりです。『現代音楽大観』にも、ずいぶんお世話になりました。「現代」といっても「昭和2年刊」。(ある種「紳士録」的なものだったようで、これに信時潔は載っていません。その種のものに名前を載せないという信時らしさに、ついニヤリとしてしまうのですが・・・)ジャンルごとに名前の「いろは順」なので少々使いづらかったのですが、昨年ゆまに書房から刊行された同書の復刻版『昭和初期音楽家総覧(全3巻)』には、索引がついてとても使いやすくなりました。

ところで、芝祐孟です。この名前に出会ったのはDISC 4に収録されているヴァイオリン独奏曲「あやつり人形」の初版譜の解説でした。この譜のヴァイオリンの運指法を書いたのが芝氏なのですが、初演者だったのか、あるいは新響社で出版する折に福居氏のつてで知り合ったのか? 「芝」「祐」と来ればやはり雅楽の家の方。明治以降の雅楽師たちは、西洋音楽の楽器もこなしました。上記『現代音楽大観』の雅楽の項に「芝祐孟」が載っていました。困ったのは読みです。いくつかの資料から推測はできましたが決め手が無く、経歴も追いきれない・・・ということで今回のCDの解説では詳しく触れずに済ませました。

ところがつい先日、偶然、「名前のよみ」の答えを見つけました。芝祐孟(しば すけもと)と読むのだそうです。 載っていたのは斎藤龍著『横浜・大正・洋楽ロマン 』(丸善ライブラリー) 。祐孟の長女でハーピストの芝侃子(しば なおこ)氏から「すけもと」と教えていただいた、とあるので、これは確かでしょう。(同書には侃子氏提供の芝祐孟肖像写真も掲載。) 堀内敬三著『音楽五十年史』に引用されている白井嶺南の調査による大正二年の主要演奏会33のうち、ヴァイオリンの芝祐孟が4回出演(ヴァイオリン奏者では最も多い)、という説明もありました。

さて、名前の読みも判明し、大正期に活躍したこともわかってきたものの、信時潔との関係は見えてきません。「あやつり人形」は大正2年作で、初版譜の発行が、信時が留学から帰った後の大正14年。その間に(普通に考えれば作曲後まもなく)芝祐孟が演奏したであろうことは十分考えられるのですが、残念ながら確かな情報は何も得られません。 元々雅楽師ですから、一般新聞雑誌には現れない、宮中での催しで演奏されたということも考えられなくもありません。あるいは、共に多カルテットのメンバー多久寅や、親友のヴァイオリン奏者川上淳が初演した、ということもあるかもしれません。(最近ご遺族に伺ったところによれば川上淳氏は独奏会など公開演奏はほとんどしなかったとのことですが)

ヴァイオリン曲「あやつり人形」の初演は、いつ、誰だったのでしょうか。 

  
  追記  『雅楽事典』にも、芝祐孟の項があります。
 



CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』 解説書(初刷) の正誤表(追加訂正一覧)ができました。

CD発売当初(2008年11月)から2009年2月頃に発売されたものをお持ちの場合は、下記アドレスに掲載している「正誤表(追加訂正一覧)」をご確認ください。

正誤表(追加訂正一覧) 

さて、前回のつづきです。(前の記事を探すには、左側のフレームの「ブログ内検索」が便利です!)

畑中先生からいただいたお電話。

突然のお電話に焦りながらも、一生懸命メモをとりました。
以下は、その記録です。

-------メモここから-------φ(.. )--------
2007年9月24日 畑中先生より電話。

東京交声楽団について

第一次
 昭和18年が第1回演奏会。卒業したてで、若手として参加。
 第一次は、中山、藤井が中心。2~3回やったが、戦争に行ったりして、自然消滅。(解散したわけではなく)
 昭和音大小原コレクションの写真は、下総皖一の春の雪、信時の痩人 などをやったコンサートの写真ではないか?

第二次
 戦後またやろうという声が上がって、中山悌一は既にソリストだったので「ブルちゃんやってよ」と言われた。合唱だけでなく、シンフォニーやオペラにも出た。日劇で近衛さんが魔笛をやったときに出た。
グルリットのバタフライにも出た。東声(とうせい)と言われていた。
戦後、生活が大変。所詮ソリストの集まりなので、混声合唱団だったかというと・・・・(?)次第にソリストとしての仕事が優先されていった。

第三次
 その後第三次として豊野雄次郎(東海大学教授・先頃物故)らが、スクールコンサートなどをやっていた。
木下先生がコロムビア専属だったので、東声のレコードはコロムビアから出ていたのだろう。

--------メモここまで----(-_-φ---

さて、以上のような有益な情報をいただいて、詳細の確認に入りました。

中山悌一、日劇で魔笛・・・などという話から、オペラ史の資料を調べてみたところ『二期会史』<1952-1981>(二期会オペラ振興会 1982)の、おそらく木村重雄さんが書いた文章の中(p.34)に、戦後の「東京交声楽団」を語った部分が見つかりました。

小原コレクションの写真(昭和18.12.22 日本青年館)が下総皖一の春の雪、信時の痩人を嗤ふ歌、などをやったコンサートかどうか、・・・は、日付と会場までわかっているのですが、演奏会プログラムや雑誌記事などは、確認することができませんでした。

豊野雄次郎代表の「第三次」東京交声楽団は、戦後の音楽年鑑にも名前が載っていました。活動の詳細については確認していません。


・・・・・

以上のような経緯があり、この東京交声楽団について、今回の復刻盤ではできるだけ多くの音源を収録し、書き残すべき情報をなるべく集めたいという思いをさらに強くし、なんとか400字ほどの演奏者解説(CD『信時潔作品集成』解説書p.36)にまとめたのでした。

東京交声楽団は「御稜威いただき」や「国民合唱」を歌っただけではない、昭和18年という厳しい時期に、木下保と共に信時合唱傑作集を3集も録音した、信時作品演奏団体でもありました。

そして、そのメンバーは、「二期会」や、戦後の声楽界のリーダーとなっていったのです。




CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』 Disc 1-17に収録されている「皇后陛下御誕辰奉祝歌」の解説では、1941年(昭和16)の『音楽教育研究』という雑誌に掲載された佐佐木信綱著「皇后陛下御誕辰奉祝歌に就いて」と、信時潔著「皇后陛下御誕辰奉祝歌の作曲に就いて」を紹介しました。

実はこれは、益子九郎旧蔵資料の中から見つかった雑誌でした。(益子九郎についてはhttp://home.netyou.jp//ff/nobu/page049.htmlに詳しく書きました)

『音楽教育研究』とその改題後の『音楽教育』は、昭和14年10月の創刊から昭和18年5月の終刊まで、全42冊刊行されていますが、益子旧蔵資料には22冊が含まれていました。

まず最初にこの「皇后陛下御誕辰奉祝歌」について、ほかには載っていないほど詳しい情報が載っていることで、この雑誌が気にかかり始めました。

それから、信時潔が編纂に関わった新訂尋常小学唱歌、新訂高等小学唱歌の指導についての連載があること。もちろん信時自身は指導のことまで、具体的に関わってはいなかったと思いますが、作者、編纂者の意図するところは・・・ということから書かれているように思えました。

さらに、各冊の執筆者をみていくと、片山頴太郎、益子九郎をはじめ、信時門下の人々をはじめとして、比較的親しく行き来した人々、すなわち下総皖一、渡(のち夏目)鏡子、柏木俊夫、長谷川良夫、澤崎定之、宮内(のち瀧崎)鎭代子といった人たちが目につきました。 決して、信時潔が『音楽教育研究』の主幹とかアドバイザーだとか、そういう立場にあったわけではないのですが、何か、「信時潔の人脈が動いている」という予感がありました。

しかも、この雑誌について言及した資料が、今までほとんどないことも気にかかりました。確かに存在した雑誌、しかも雑誌の統廃合の折は、ほかの音楽教育関係雑誌が廃刊となって、こちらが残ったという雑誌なのに、今までの音楽教育史にほとんど現れて来ていないようなのです。

以上のようなことから、『音楽教育研究』『音楽教育』の総目次を作ってみることを思い立ち、CD『信時潔作品集成』解説書の校正の合間に作業をすすめました。幸い全冊の所在が判明して、目次と各記事のページを確認することができました。

思わぬ収穫----今まで見つけることができなかった信時潔関係記事も見つけました。
ことに、第5巻第3号(昭和18年3月号 編集後記によれば信時潔の朝日賞受賞を機に組まれた特集らしい)「特輯 信時潔氏を語る」に、颯田琴次、太田恒子、下總皖一、夏目(渡)鏡子、片山頴太郎が寄せた記事が載っていたのは新発見で、興味深い内容でした。

この「総目次」は、近日発行予定の『文献探索2008』(金沢文圃閣)に掲載されます。
なお、掲載記事に索引をつけることができなかったため、PDFファイル内の検索ができるように、
ウェブサイトにPDF版(「まえがき・あとがき」「総目次」の二つのファイル)をアップしましたので、
ご利用ください。
ウェブサイト「信時潔研究ガイド」 の 雑記帳のページ no.19 に、「昭和戦前期『音楽教育研究』『音楽教育』総目次」を掲載しています。




 

昭和音楽大学小原コレクション(小原敬司撮影)に保管されていた「東京交声楽団」の写真は、『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』 の解説書p.36の右下に載っています。

同コレクションの記録によると、この写真は1943年12月22日の演奏会(日本青年館)の折の記念写真。撮影者は小原敬司。

前列左から4人目 朝倉(のち中山)靖子、下總皖一、木下保、信時潔、千葉(のち川崎)靜子、佐々木成子、一人置いて多田光子。
二列目左から2人目 山口和子、平田黎子、2人置いて奥田智重子、柴田睦陸、鷲崎良三、青木博子、戸田敏子、藤井典明。
三列目左から 前田幸市郎、1人置いて村尾護郎、3人置いて酒井弘、1人置いて栗本正、秋元清一(のち雅一朗)、畑中良輔、高木清。

まさに、その後の日本の音楽界をリードしていった人たちばかりです。

それにしても、東京交声楽団とはどんな集まりだったのか。

最初の手がかりは 小関康幸さんのホームページhttp://www.ne.jp/asahi/yasuyuki/koseki/index.htmに掲載がある『音楽公論』の記事でした。これは戦時中の情報。

一方、日本近代音楽館所蔵の演奏会プログラムに、戦後の「東京交声楽団」関係のプログラムが数点ありました。1960年の「東京交声楽団定期演奏会」のプログラムには、「東声(東京交声楽団の略称)は、戦前上野の杜で三宅春恵、川崎靜子、柴田睦陸、中山悌一氏等の諸先輩が集まり、研究会を作っておられた当時の名称でありまして、戦後一時中断の形でおりましたところ、須賀靖元、畑中良輔氏等の先輩が発起人となられ、私達27,8名で新発足をしたものであります。その後団員は入替りをいたしましたが、現在指導者になられて二期会、藤原歌劇団、芸大、その他各界で活躍をなされている方達が多数居られます」(柳力「"東声"のこと」)とあります。

畑中先生には、2006年の信時潔没後40周年記念演奏会などでお世話になったことがありました。ここでもう少し事情を聞いておかなければ・・・・と、先生に手紙でお尋ねすることにしたのです。勇気を出して手紙を書いたのは、2007年8月。先生のご多忙ぶりは存じ上げていたので、このようなことを伺っても対応が難しいかもしれない・・・とあきらめかけていたところ、9月のある日曜日、なんと先生自らお電話を下さったのでした。

------この頃はまだ、先生にCD『信時潔作品集成』の序文をいただくことなど話にも出ていませんでした。

(つづく)





昨日紹介した郡修彦さん執筆の記事を読み返して、制作途中の郡さんとのやりとりをあれこれ思い出しました。文中に、DISC 2 の東京交声楽団演奏作品は「信時女史の希望で収録した」(p.27)、「戦時中ビクターから3枚1組で発売された東京交声楽団の全曲収録を信時女史が希望されたので」(p.32)とあり、「そうだったかなあ・・・」と少々不安になったのですが。それほど熱心に推したつもりはないのですが、郡さんにそう受け取られるほど、東京交声楽団の録音にこだわりたい理由があったのです。

実際、東京交声楽団の録音がどのくらい残されているのか、一般の方が聞けるのか、私はよく知りません。
しかし、昭和18年9月新譜「信時潔合唱傑作集」(よくもまあ、そんな時期に合唱傑作集が編纂されたものです)が復刻されることは、この機会を逃してありえないだろうというのが、今回是非という思いにつながりました。

実は私は、この仕事にとりかかる前には、「東京交声楽団」というのが、ナニモノか、全く知りませんでした。

企画のごく初期に、収録曲目の案を練っていた頃、東京交声楽団(木下保指揮)の「御稜威いただき」だけが入っていました。「あかがり」「いろはうた」などは、既に東京音楽学校等の録音が候補に上がっていたため、収録原案には上っていませんでした。

「東京交声楽団」がどういう団体なのか、少し調べ始めたら、なにか捨て置けない気がしてきたのです。

信時潔は、ヨーロッパで、たとえば師ゲオルク・シューマンが、手兵の合唱団に自作を歌わせていたように、日本人が日本語で合唱曲を歌って欲しくて、東京音楽学校でそれを実現したのです。
それが、東京音楽学校で演奏された、あかがり 深山には いろはうた 紀の国の歌 桜花の歌 といった合唱曲でした。学生時代に学内外の演奏会でそれらを歌い、研究科時代には「海道東征」のソリストとなり、その後東京交声楽団のメンバーとして活動した人がとても多いのです。それを指導したのは木下保。いわば信時音楽の一つの流れとなっているような気がします。一方で木下保は、ソリストとして信時作品の独唱会を開き(昭和17年)、戦後は合唱指揮、そして晩年には合唱曲「沙羅」の普及に尽くしました。

 一方、この仕事が始まる少し前のことでしたが、昭和音楽大学小原コレクション(小原敬司撮影)に信時潔の写真はどのようなものがあるかを調べていただいたことがありました。その時に、東京交声楽団のメンバーと信時潔、木下保が写った写真があることがわかりました。その写真を改めて見直したところ―これがこの小原コレクションの素晴らしさなのですが―集合写真中のわかる限りのメンバーの名前が列記されていたのです。

 (つづく)










CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』 の企画・構成・復刻を担当した郡修彦氏が、隔月刊『SPレコード誌』第10巻第1号(通算91号)=2009年2月20日発行=に、「『海ゆかば』信時潔の作品集成 昭和戦前期のSPを復刻CD化」を、寄稿しています。(p.22~35)

郡氏が企画を持ち込み、全面的に協力して完成されたこのCDの制作裏話と併せて、郡氏と信時作品の因縁も綴られています。

CD添付の解説書では、ドライに表示されたデータも、それが判明するまでの入念な調査に裏付けられたものであることがわかります。音源入手の苦労や、技術的なことのほか、解説書には書けなかった裏話も盛り込まれ、ちらし(表紙)と DISC 1~6 の曲名(&演奏者)一覧も掲載、CDを聴きながらこれを読めば一層楽しめることでしょう。

掲載誌の詳細と、連絡先は下記の通りです。 

     『SPレコード誌』第10巻第1号(通算91号)  
   2009年2月20日発行
   編集・発行 アナログ・ルネッサンス・クラブ (電話・FAX 042-207-8872)
   定価2,600円 送料400円
 

 
   


 

本日2月23日(月)の産経新聞

新保祐司著 「平成の「信時潔」よ、出でよ」

で、CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』 が紹介されています。

以下の「産経新聞」サイトにも、全文掲載されています。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/224788/
東京芸術大学附属図書館の貴重資料画像データベースが、ネット上で公開されています。
http://images.lib.geidai.ac.jp/  
(利用のためには登録が必要です)

CDの解説準備中には、見つけられなかったのですが
その中に上野児童音楽学園の写真がありました。 

タイトルは、「皇后陛下行啓演奏会御前演奏する上野児童学園園児」
しかも備考には「演奏:上野児童学園;上野児童学園合唱団。文部省製作フィルムあり 昭和9年4月21日」と書いてあります。

DISC 5-01の「皇太子殿下御誕生奉祝歌」は演奏者が違うのですが、そのフィルムには、同曲の上野児童音楽学園による演奏が収められているのでしょう。

この作品は、同名あるいは似た名前の作品がたくさんあり、資料には時に誤記されていたり、作詩者、作曲者、曲名、楽譜(旋律)、歌い出し(歌詞)が揃って記録されているものが少なく、調査は難航しました。

東京芸大の『百年史』、金田一春彦先生の『日本の唱歌』、郡修彦氏によるSPレコードの情報(信時作品以外も含めて)、そして、偶然見つけた当時の発表演奏会の資料などで、ようやく事情がわかってきました。

ところで、その上野児童音楽学園が歌う「海道東征」の「童ぶり」(第五章 速吸と菟狭)をSPレコードで聴いていた耳に、2003年、オーケストラ・ニッポニカによる「海道東征」再演の児童合唱は衝撃でした。(この再演時の児童合唱は、東京滝野川少年少女合唱団) 
「衝撃」というのは「酷い」ということではなく、それはそれは素敵でした。まあ~~なんて皆さんお上手、なんて綺麗なんでしょう、と思いました。日ごろ児童合唱を聴く機会がないせいもあるでしょうが、三善晃の「オーケストラと童声合唱のための<響紋>」を初めて聴いたときの衝撃も同じようなものでした。

オーケストラも、児童合唱も、「今の」演奏をして良いのだ、と感じた「再演」でした。

上野児童音楽学園の歌を「あれはいただけない」と評した方がありました。
たしかに、現在の歌い方を、基準に考えると、かけ離れたものではありますが、あれはあれで、昭和15年当時の「いま」だったわけです。

甦える童謡歌手大全集(CD) の童謡歌手や、今回のDISC 3 に収めた「電車ごっこ」「一番星みつけた」などの唱歌も、当時の主流の歌い方でした。

そのお手本を示したのは何だったのでしょうか?童謡・唱歌・子供のための歌を作る人、教育に携わる人、レコード制作者の「理想」の歌い方は一致していたのでしょうか。
おそらく「上野」は、それまでの童謡歌手たちとは違った、新しい模範となるべく演奏を披露していたのだと思います。
解説書のp.117に、「海道東征」全曲初演ソリストの名前は、「東京音楽学校生徒としての演奏であったため公式には書き残されていない」と書きましたが、これは間違いでした。 私が見落としていたことがわかりました。
演奏会「皇紀二千六百年奉祝芸能祭制定 新日本音楽・音詩・交声曲作品発表演奏会」(日比谷公会堂 昭和15年11月26日)当日のプログラムで、隣の曲(山田耕筰作曲 音詩「神風」)の演奏者と、海道東征の演奏者をまとめて書いてあったため、見落としていました。 その日の夜8時からの実況中継放送の番組表(当日の新聞のラジオ欄)を見たところ、ソリストの名前が全員挙がっていることがわかり、プログラムを再度確認したところ、判明しました。
 
ソリストの個人名は明かされなかった、と信じてしまった、もう一つの理由は、解説書p.112にも参考文献として挙げた 座談会「『海道東征』に就いて」(『音楽評論』 1941年3月号)でも、「あの中で(注:海道東征レコードのこと)歌っている人達の名前はこの雑誌が出る頃には発表してはいけないんださうですね」とあったことです。(ほかにも、卒業までは個人名を明かせない、としたものを見たような覚えがありますが、今すぐ確認はできません)

 そこで、全曲初演時のソリストをここに書いておきます。
 レコード録音のソリストとは、一部違っています。日比谷の公演のすぐあとの
 大阪公演のソリストは、記録が残っていることがわかっていましたが、日比谷での初演と同じでした。


 
 管絃楽 東京音楽学校管絃楽部
  合唱 東京音楽学校生徒

 ソプラノ 山内秀子 朝倉春子
 アルト  進藤梅子 千葉靜子
 テノール 柴田睦陸 
 バリトン 藤井典明
 バス   中山悌一 栗本正

 児童合唱 上野児童音楽学園

      *「皇紀二千六百年奉祝芸能祭制定 新日本音楽・音詩・交声曲
    作品発表演奏会」 (日比谷公会堂 昭和15年11月26日) 
    プログラム による

 
芸術祭賞贈呈式では、「贈賞理由」が書かれたパンフレットが配られます。

レコード部門 の芸術祭大賞
財団法人日本伝統文化振興財団
SP音源復刻盤信時潔作品集成 の贈賞理由は、
次のように書かれていました。

信時潔(1887-1965)は合唱曲「海行かば」や独唱曲「沙羅」によって日本作曲界の創成期に大きな足跡を残した。このたびの作品集成は、企画構成、SP復刻技術、データと解説など、いずれも適正かつ充実した内容となっている。また橋本國彦のヴァイオリン独奏や木下保の独唱など、日本近代演奏史の資料としても高く評価された。


なお、同部門の審査員は、次の方々でした。
香取良彦 加納マリ 蒲生郷昭 小鍛冶邦隆 長木誠司 月渓恒子 三宅幸夫
(敬称略)
CD『SP音源復刻盤 信時潔作品選集』 は、平成20年度(第63回)芸術祭・レコード部門の大賞を受賞しました。 1月28日午後、贈呈式と祝賀会が行われました。

贈呈式会場では、受賞理由も読み上げられ、うれしいひと時でした。

P1010611web.JPG
プロデューサー、ディレクター、マスタリングエンジニア、企画、構成、解説デザイン・編集まで、関係者が一堂に顔を合わせるのは、実は初めてのことでした。
 
『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』のDISC 1-01 DISC6-03 に収められている『花すみれ』については、本当にエピソードがたくさんあり、CD添付の解説書にも一通り書いたほか、こちらでもhttp://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/9/ に書いてます。

話が複雑になるので、CDの解説書には載せませんでしたが
ほかに、偶然にもインターネットオークションサイトで見つけた信時潔作曲「花すみれ」の楽譜がありました。
それが、 大阪府立八尾高等女学校校歌 (非売品 東京 桑文社納)です。

表紙の「題字」は ここ http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/9/ に載せた楽譜の「花すミれ」(セノオ音楽出版社 大正13年)と同じです。
紙が劣化・変色しているので、当時のままとは言いがたいですが地色は「すみれいろ」。すみれの写真が載っているところが洒落ています。

裏表紙に
「花すみれ」の御歌   御歌所寄人 坂正臣謹述 
が載せられているのも、セノオ版と同じです。

ページを開くと、額装したような歌詞の写真版の冒頭に「皇太后宮御歌」とあり、
楽譜には、「東京音楽学校教授 信時潔謹曲」とありました。
印刷刊行年は書かれていないのですが
大阪府立山本高等学校(旧 大阪府立八尾高等女学校) 同窓会のホームページ やますみれWeb
http://www.yamasumire.jp/school-history.html
には、「1927年(昭和 2年) 大阪府立八尾高等女学校と改称」とあるので、昭和の時代に入ってからの印刷です。

YaoHanasumireWEb.JPG
女学校の校歌として、皇后陛下、皇太后陛下御歌「花すみれ」が使われた例は、ほかにもあるようですが、詳細は確認していません。
 ご存知の方、情報をお寄せいただけるとありがたいです。
今回のCD『SP音源復刻盤 信時潔作品選集』 は、曲番号トラック番号の両方があることが、少々わかりづらく、時には、番号が間違ってる?などと思われる方もあるようですが、理由あって併用しているのでどうぞご了解ください。

この呼び方が必ずしも正しいとはいえないのですが、「曲番号」と「トラック番号」があるとお考えください。

例えば、解説書の p.53 を見てみますと

DISC 2-19 桜花の歌

 30  いにしへの(合唱) 
 31  いかにせん(合唱)
 32  吹く風を(合唱)
   ↑ 実際はこのアンダーラインの数字のところは四角囲み文字になっています。

 
とありまして、このDISC2-19 が曲番号。 30 31 32 が、それぞれトラック番号です。

曲番号は、主に、解説書の中で、一つの単位として扱うものです。
組曲、楽章のある大規模作品(「海道東征」)など。
同じSP盤に入った同一曲の別編成も、これに準じています。
特別なものとしては、「新訂尋常小学唱歌」「新訂高等小学唱歌」は、
それぞれ一つのまとまりと考えました。

トラック番号は、CDをかける時にも表示される番号、区切りの信号が入るまでの単位で、大規模な作品の楽章や、組曲の各曲、唱歌も一曲づつ、1トラックとして扱っています。

たとえば、「海道東征」の場合は、DISC-6 の トラック 1 から トラック 8 となるわけです。

鑑賞するためのCDというだけでなく、研究資料として、「学ぶ」「調べるため」にも使えるように、曲同士の参照や、演奏家の説明、参照を入れたかったので、トラック単位では扱いづらく、曲番号を併用しました。

解説書p.7~12の収録曲一覧、小口(こぐち=開く部分)のDISC番号インデックスなど、どうぞご活用ください。


昨日、このたびリニューアルされた木下記念スタジオ(@代々木上原)にお邪魔して、
同スタジオ所蔵の信時潔関係資料を拝見させていただきました。

そのなかに、今回収録したレコードで歌われているのに、歌詞カードが見つからず、
自筆譜はもちろん、今まで確認された出版譜、印刷譜に載っていないため
聴き取りだけでは掲載できなかった「大島節」の3番の歌詞が見つかりました。

DISC1-04 解説書のp.19の歌詞は、一番から次の通りとなります。
ただし、見つかった楽譜中にはひらがなで書き込まれていましたので
漢字表記は私の判断によるものです。

あー 
私しや大島
御神火(ごじんか)育ちよ
胸に煙りがよ
絶えやせぬ

あー
躑躅(つつじ)椿は
お山を照らすよ
殿のお船はよ
灘(なだ)照らす

あー
別れつらくも
帆を巻く朝はよ
涙ながすなよ
波が立つ


 なお、見つかった印刷譜は「日本放送協会」の名が入ったもので、印刷年の表示は無し。
 2種みつかったもの両方に、3番の歌詞がペン、鉛筆で書き込まれています。
 今回のCDに収録されている木下保指揮「大島節」のレコードは昭和11年7月17日録音。
 ほかに、 昭和16年7月10日に、木下保指揮・東京交声楽団の演奏が放送された記録が
  あります。
 

ほかではあまり書かれていないことなので、ここに書き留めておきます。

雑誌『音楽教育』の5巻4号(1943年4月号)に、白井保男著「我国楽譜印刷の過程」という記事(p.48~52)があります。著者は共益商社書店社長。明治14年の『小学唱歌集』初編に始まる木版印刷時代から、楽譜版下の誕生、セラチン凸版時代、石版時代及び亜鉛凸版時代、オフセット時代と現在(=昭和18年)までの概要が書かれています。
その最後に、ドイツ(リヒャルト・シュトラウス)、イタリア(ピッツェッティ)、フランス(イベール)、ハンガリー(ヴェレッシュ)各国から寄せられた紀元二千六百年奉祝楽曲のオーケストラスコア「全4冊 総頁550ページといふ膨大なもの」と共に、「近く刊行されます信時潔氏の「海道東征」スコア150頁」は、「近代の我国楽譜印刷の精華を証左するものでありましょう。」とあります。
確かに、日本人の作曲家の、演奏時間一時間にも及ぶオーケストラ・スコアは、ほかにあまり例が無く、7枚組みSPレコードと同様、印刷楽譜としても、画期的なものであったのかもしれません。
「海道東征」の、ピアノ・ヴォーカルスコアは、昭和15年11月の初演以前の8月(おそらく合唱団の練習開始の頃)に発行され、翌年6月再版。管絃楽総譜(フルスコア)は昭和18年10月に発行されています。

團伊玖磨さんと信時潔は、直接師弟関係はありませんでしたが、團さんの書かれたものにいくつか信時潔が登場していて、その文章からは、團さんの思いが伝わってきます。

DISC-1 の「紀の国の歌」の解説では、パイプのけむりシリーズの中の、この曲に関する部分を紹介しています。 この記事を見つけることができたのは、早崎日出太さんによる 團伊玖磨全仕事 というサイトのおかげです。  なかでも パイプのけむり のページの右下に、「パイプのけむり辞書」の入り口があって、なんとすばらしいことに、人名などで検索ができるのです。團さんが、信時潔との関わりを、何かお書きになっているだろうと思っていたものの、同シリーズ全27巻に目を通すことはできずにいました。この「辞書」で探して、収録されている書名を調べ、書店や、近くの図書館で確認できないものは、近代文学館まで行って閲覧したものもあります。
このサイトの徹底した仕事ぶりには「敬服」のひとこと。個人研究サイトとしても、とても参考になります。

團さんの『好きな歌・嫌いな歌』という本には「海ゆかば」について書いた章があります。
http://www.tasc.or.jp/~pipedan/other/newpage13sukinautakirainauta-bunko.bak

また、『私の日本音楽史―異文化との出会い 』(NHKライブラリー 1999)という本があるのですが、これは、NHKの人間大学「日本人と西洋音楽」(1997年放送)で放送したものを、のちにまとめたものです。
http://www.tasc.or.jp/~pipedan/other/newpage47.htm
  ↑ このページ ↑ に書かれている「この(放送)内容は、簡略化しているのでちゃんとしたものを書きたいとおっしゃっていた」という、簡略化されて載せられなかった内容のひとつが「信時潔」だったようです。放送当時は、ほとんど触れられていませんでしたが、NHKライブラリーの本になった時に、書き加えられました。 

今回の作品集成、タイトル冒頭に「SP音源復刻盤」という語を付けました。
信時潔作品全集 などと銘打つには、偏りがあり、SP音源があるものだけを対象としています。

最近は、SPどころか、LPレコードでさえ、「どうやってかけるんですか?」という学生さんも多かったりします。(レコード針を置く、ということを経験したことがないわけで、レコードをかけるのも、大変です)

SPレコードとは、・・・と説明できるほど詳しくないのでここでは省略しますが、ネット上にも様々な説明、様々な情報があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/SP%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89

今回復刻にもご協力いただいている「昭和館」には、SPレコードのコレクションがあり、一般にも公開されています。その所蔵目録は昭和館監修『SPレコード60,000曲総目録』(アテネ書房 2003)として刊行され、館内で聴くことができるレコードは、WEBからも確認することができます。http://www.showakan.go.jp/ の「映像・音響室」から「検索広場へ行こう」へと進むと、下のほうに「レコード目録を見よう」があります。ただし、WEB上では曲名からの検索のみで作曲者の表示もなし。演奏者、作曲者、レコード番号などからの検索は、上述の「総目録」が役立ちます。 2008年7月現在、昭和館で聴くことができる曲数は約10,000曲だそうです。

ほかに、ネット上では、昭和歌謡大全 というサイトに、レコード番号や発売日の確認のために、たびたびお世話になりました。85歳になられる方が計20,000曲分のデータを入力されたとか。有難いことです。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/tsukakoshi/kayoudaizenn/kayoudaizenn.html

(ただし『信時潔作品集成』の解説に記載されている信時作品SPレコーのド録音・発売日等の情報は、郡修彦氏の調査によるものです)



DISC4-06 (Track 34) に収録されている「野球大会の歌」。
これは、断片的な情報はあったものの、資料探しに苦労した作品のひとつです。

解説書p.75に載せた楽譜は、信時潔の楽譜帳に新聞か雑誌の切抜きを貼ったもの(裏面に別の記事あり)で、掲載紙(誌)が何かわかりません。ずいぶん調べたのですが、結局わかりませんでした。
この大会は大阪朝日新聞社主催。野球大会の歌の旋律譜は、大阪では7月8日(朝刊)に掲載されていますが、東京朝日新聞には掲載されなかったようです。

前に、 このような資料探しの仕事は遺跡発掘に似ている、 と書いたことがあるのですが、「発掘」して一番うれしかったのは、p.76に載せた初演当時の写真です。(とくに、ほかより大きく載せました)

朝日新聞社の全国高等学校野球選手権大会の年史は、今までに数種類出ていますが、最近のものには大会開始の頃の事情については、あまり詳しく書かれていません。
ようやく都立図書館で探し当てたのが「全国中等学校野球大会史」(大阪 朝日新聞社 1929)。
ページ付けもない写真のページが続く中に、それはありました。コーラスも、軍楽隊もしっかり写っています。

アサヒコーラスについても、最初は事情がわからず、いろいろな資料を照らし合わせ、また昔の事を知っているという方から聞き合わせて、ようやくわかってきたので、今回収録の演奏団体ではありませんが、少し詳しく書き留めておきました。

CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』に収録された「花すみれ」(貞明皇后御歌)は、最初は女子学習院の歌として作られました。

その後、女子学習院の曲は作り替えられて、別の旋律となっています。それが「はなすみれ」 (すべて、ひらがなで表記します)

この曲は、学習院校友会サイトで聴く事ができます。
   https://oukai.etc.gakushuin.ac.jp/song/sumire.htm 

女子学習院という名の学校はなくなりましたが、今も学習院女子中等科・女子高等科の音楽の授業では、ゆかりの曲として「はなすみれ」をとりあげているそうです。(ということは、たぶん愛子さまも歌われるのでしょう)

ちなみに、学習院大学開設二年を記念して、昭和26年に作られた「学習院院歌」(安倍能成作詞)も信時潔作曲です。
  https://oukai.etc.gakushuin.ac.jp/song/inka.htm

さて、最初に作られた「花すみれ」は、女子学習院で使わなくなって、一般のレコードになったのですから、払い下げというか、リサイクルというか。したたかなのか、歌の魅力なのか、はたまた女学生の心を捕らえたのか、とその頃の経緯を知りたくなります。

初版のセノオ楽譜(前回の記事に写真あり)が大正13年5月発行。浅草オペラの名歌や「宵待草」を竹久夢二の表紙絵で売り出したほか大正末から昭和初年にかけて多くのピース楽譜を出していたセノオ楽譜です。皇后陛下の御歌を女学生の愛唱歌にというセノオ楽譜のもくろみもあったのではないかと思います。

山田耕筰作曲の「花すみれの御歌」もセノオ楽譜で、独唱曲が大正15年にでています。二部合唱、三部合唱も山田耕筰作曲として、セノオ楽譜から出版されていますが、実は旋律は・・・という不思議な話は、解説p.16に書いた通りです。

信時の「花すみれ」「はなすみれ」と、山田耕筰の「花すみれの御歌」の聴き比べコンサートというのも、面白いかもしれません。
 

 

『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』の、DISC-1の冒頭と、DISC-6にも入っている「花すみれ」については、これまで詳しいことを調べたことがなく、今回の準備のために調べれば調べるほどいろいろなことがわかりました。この曲だけ長く書くわけにもいかず、添付の解説書では、かなり短くまとめましたが、詳しく書けばひとつの論文がかけるほどではないかと思います。 なぜ、二種の「花すみれ」「はなすみれ」があるのか?山田耕筰の「花すみれの御歌」との関係・・・etc。

今回の解説書はモノクロなので、カラーが出なくて残念でしたが、hanasumire1forWEB.JPG
p.17の唱歌『花すミれ』の表紙は、右のように紫と白とピンクという彩りの、
そんなお菓子がどこかにあったと思い出させるような色合いです。
どう云うわけか、この初版譜は、信時家に残っていないのですが、最近、偶然入手しました。

この曲は、ピースのほかにもいくつかの合唱曲集にも収録され、大正~昭和初年の女学生に愛唱されたようです。

このCD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』 は、最初は7月末に発売される予定で、発売情報が一旦流れましたが、諸般の事情で延期となり、ついに11月19日に発売になりました。

実は、延期されたおかげで、加えることが出来た、「最後の一枚」のSPレコードがありました。

DISC4 の 東北民謡集 の二枚のSPのうちの、ポリドールS-2017でした。
ポリドールS-2016は、作曲者の遺品の中に残っていましたが、レコードの袋やカードはありません。
当時のポリドールのカタログの所在がわからず、詳細を確認することができずにいました。

どのような形で企画、発売されたのかは、当時のレコード評を見るしかなかったのですが、どうも信時作品が二枚あったらしいということがわかってきました。
SPレコードは、どこかに残っているのか、いないのか?それとも、レコード評の書き方が曖昧で、情報の読み取り方を間違えているのか?

そして、郡修彦氏の執念の探索の結果、ついに、最初の発売予定日を過ぎた8月になって、幻の 「ポリドール S-2017」が見つかったのです。

東北民謡集は、花岡千春先生が、CD『花林/雨の道』に録音しています。その時も、作曲当時の音を参考にしたいということで探していたのです。(残っている楽譜には書き込みも多く完全な形で残っていないため、作曲者の目が通った初演時の楽譜、および録音を探しましたが当時は入手できませんでした。)

録音も別冊解説書も、もうほとんど仕上がっていたのですが、この機会をのがしては、録音・復刻のチャンスはないかもしれない、ということで、ついに追加収録されることになったのでした。
土岐善麿作詩、信時潔作曲「われらの日本」の、初演当時使われた楽譜が、見つかりません。
どなたかお持ちの方は、いらっしゃいませんか?

1947年5月3日、宮城前の広場の憲法施行記念式典で、この曲を歌ったのは東京音楽学校、武蔵野音楽学校、国立音楽学校の生徒350名だったようですが、その楽譜が保存されていないのです。

当時のことですから、全国すべてではないにしても、小・中学校で歌ったり楽譜が配られたり、ということもあったはずです。けれども、音楽学校や役所の書類としては最初の印刷譜が残っていないようなのです。(二次資料は確認済)

「われらの日本」のSPレコードの反対側の面には、中山晋平の「憲法音頭」が録音されています。
これについては、入念な調査の結果が一冊の本となっています。
 和田登著 『踊りおどろか「憲法音頭」―その消えた謎の戦後』 (本の泉社 2006)

記念式典の後、5月8日から、憲法普及会制定「われらの日本」が、『ラジオ歌謡』として放送されています。演奏者は酒井弘、東京放送合唱団。
なお、ラジオ歌謡については、最近「ラジオ歌謡研究会」が熱心に調査・研究、普及活動をされているようで、同会の研究誌『ラジオ歌謡研究』は2007年創刊。同会会長・工藤雄一編の楽譜『思い出のラジオ歌謡選曲集』 (全音楽譜出版社)も発行されています。
2年半という時間をかけてようやく送り出したCDが発売となっても、目の前で売れていくわけではないのでなんとなく、実感がありません。なので、Amazon の サイトを見て「在庫何点」とかAmazon.co.jp ランキング: 音楽で9,482位(本日現在)なんていうのを見てささやかな励みにしております...(笑)....

ところで、そのAmazonサイトで見てあらためてびっくりしたのは「収録時間: 430 分」というもの。なるほど、CDをお届けしたご協力者の皆様から、「まだ聴いてませんが、ありがとう」といわれるのも仕方ない。私は仕事なので、何ヶ月もかけて(主に往復の通勤電車の中で!)各曲を何度も聴きましたが、普通は一気にそんなに聴けませんね(納得。)

さて、その430分の最後に、新憲法施行記念国民歌「われらの日本」を配したのは、私のこだわりです。
代表作といわれている「海道東征」や「海ゆかば」を最後に、という意見もありましたが、是非そうしたいという私の意見を入れてもらいました。

ひとつには、「戦後一切作品を発表しなかった」という一般に流布している説と、事実は違うということを押さえておきたかった。もちろん、あの戦争が終わった時、複雑な「想い」はいろいろあったでしょう。だからといって、作品を発表しないとか、そのような単純な形をとるような人ではなかった。戦後は新しい世代を応援し、その活躍を見守りながらも、頼まれた仕事では、嘘のない自分の音楽を書いていたのではないかと思います。

最近「海ゆかば」「海道東征」だけで語られている感のある信時潔は、一方で新憲法施行記念国民歌「われらの日本」の信時潔だった-----そこで、何か気づいてくださる方もあるかという想いもありました。

(つづく)

*-*-*-*-*
CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成
tenkai-web.jpg






企画・構成・復刻:郡 修彦
構成・解説:信時裕子
CD6枚組、別冊解説書
(B5変形判 全144頁)
15,750円(税抜15,000円)
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