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6月7日(木) NPO法人「ふれあい塾あびこ」の公開講座で、信時潔を紹介します。

60代から90代までの「塾生」のみなさんに、CDの音楽を交えながらお話します。

詳細は・・・準備中です。
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4月5日から、東京藝術大学大学美術館「春の名品選」で、信時潔の「我等は太陽民族」の演奏が展示公開されています。
詳しくはこちらに書いています。
http://home.netyou.jp/ff/nobu/page006.html

iPadで聴く、復元演奏、どのようなものでしょうか。

ところで、同展の展示リストを見ていたら、
「滋賀県立商業学校校歌(現・滋賀県立八幡商業高等学校)校歌」がありました。
ちらしに「旋律譜」が載っている校歌は 土井晩翠作詞、楠美恩三郎作曲。
明治40年10月9日作曲とあります。

これで、わかりました。
信時潔の楽譜帳にこの曲名があったのです。ただし「作曲」ではありません。

昭和14年頃の「伴奏譜」で、タイトルは「滋賀県立八幡商業学校校歌」と見えます。
信時が作曲した他の校歌の楽譜(自筆)に比べて、作詞者作曲者の記載がなく、歌詞、旋律も書き込まれていないのですが、とくに伴奏作曲とか、編曲という記載もないため、詳細がわかりませんでした。

旋律のみだった楠美恩三郎作曲の校歌に、信時潔がピアノ伴奏を作曲した、ということのようです。
 *伴奏のみのため、ウェブサイト掲載の校歌リスト http://home.netyou.jp/ff/nobu/page013.htmlには掲載していません。


 

前回「小津安二郎と信時潔」の記事を書くときに、検索していたら、「小津安二郎の映画音楽」というサイトがあるのを見つけました。

http://saitotakanobu.blog.fc2.com/blog-category-12.html#top



そこには、東京音楽学校で信時潔に師事した作曲家・斎藤高順のことが、詳しくのっていたので、連絡してみたのです。斎藤高順先生には、今から20年以上前に、信時潔に関するアンケートをお願いしたことがあります。この時のアンケートの回答(計27件)は折に触れて取り出して参照したり、引用したりしています。それだけで「証言集」が作れるほど、貴重な情報の宝庫ですが、そのままの公開は権利の問題もあるので安易にはできません。が、今回は、齋藤先生の情報を積極的に公開しているページと見受けられ、信時潔に関するアンケートの回答を載せていただけないかと持ちかけてみたのです。
すると、話はトントンと進み、すぐに対応して下さり、間もなく、同サイトに「小津安二郎と信時潔の接点 その1 」「その2」 というページが出来上がりました。 

http://saitotakanobu.blog.fc2.com/blog-category-12.html#no160

http://saitotakanobu.blog.fc2.com/blog-category-12.html#no161


私からお送りした「アンケート」、齋藤先生執筆の「学校音楽」の記事(画像)も載っています。

私が、アンケートを通して知りたかった作曲家、教師、また一人の人間としての「信時潔」が見えてくる内容です。

そして、これらと併せて公開されたのは、齋藤家とっておきの一枚!の写真-----斎藤高順 信時潔 小津安二郎の三人が並んでます。

t.saitoh 様 貴重な資料のアップロードありがとうございました。













古い記録を整理していたら、東京音楽学校で信時潔に師事した齋藤高順(たかのぶ)氏に問い合わせした記録に、こんなことが出てきました。

「結婚した時媒酌をお願いした」
「結婚式(昭和30年5月6日)で初対面なのに意気投合された方に映画監督の(故)小津安二郎氏が居られた。信時先生は当時芸術院会員であられたが、数年後小津監督が芸術院賞を受賞されたり、芸術院会員に選出されたりして、お互いがお会いする機会も増した事は、また素晴らしい事であった。」

熱心に映画(それも日本映画)を見たという話は、あまり聞かないのですが。
小津安二郎と、信時潔、どんな話をしたのでしょうか。




12月17日、山下公園前の神奈川県民ホールで、シアターピース 合唱でたどるニッポン・歌の花籠 を聴いて来ました。横浜市立大学混声合唱団の第44回定期演奏会。『「国民歌」を唱和した時代―昭和の大衆歌謡』などの著書がある戸ノ下達也さんの企画構成。藤井宏樹指揮、しままなぶ演出。以前、山梨県で演奏されたシアターピースの「横浜初演」です。

プログラムには、「明治から昭和に至る一世紀余りの時代の諸相を「うた」から再考する試み、」とあります。

一応明治以降の洋楽を専門としてきた私ですが、改めてこうして聴いてみると、「なるほどそういう意味があったのか」と思うところもあります。

明治のうたから、順にたどって、信時潔の「子等を思ふ歌」を聴くと、なるほど借り物の讃美歌の響き(小学唱歌)、女学生の歌、学校唱歌から一歩出て、「唱歌」を合唱で歌うのではなく、「合唱」するための「合唱曲」が生れた、それがこの曲だったのだと感じます。

シアターピースの筋書きの中で歌われた「海ゆかば」。冒頭の「Mestoso」をどう歌うべきか、どういう気持ちで歌うのか、考えさせられます。

そのほか、それぞれの時代を語る「うた」全26曲を、趣向を凝らした衣裳のメンバーが歌ったのですが、大掛かりな装置もなく、さりげない演出ながら、曲を追うごとに舞台上の空気が変わり、その時代の衣裳が浮き上がって見えて、シアターピースとしての効果はすばらしいものでした。

「死んだ男の残したものは」は、何度か聴いた曲なのに、今回の演奏で、再び涙してしまいました。
谷川俊太郎、武満徹はすごいです。そして、なにより演奏がすばらしかったです。

ここで、ジーンとしてしまって、このまま終わったらどうしよう・・・と思いましたが、そのあと、髙田三郎の「雨」、そして佐藤眞の「大地讃頌」でクライマックスを迎え、感動のうちに終演。若い皆さんの熱い演奏でした。

  追記 「音楽挺身隊歌」と「大地讃頌」、どちらも作詩は大木惇夫なのでした。 

「全国中等学校野球大会の歌」の印刷譜を入手しました。
yakyu-smallweb.JPG
CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』 の解説書p.75に掲載した楽譜は、信時家に残っていたものですが、楽譜帳に貼られていて、掲載誌(紙)がわかりません。活字の感じから、新聞というよりアサヒグラフなどの可能性が高いと思って、私も随分調べましたし、朝日新聞社にも問い合わせてみたのですが、わかりませんでした。

初演当時のアサヒコーラス、何度かのレコード録音、そして毎年の野球大会で歌われたはずですが、どの楽譜を使っていたのでしょうか。

今回入手した楽譜は、歌詞と旋律譜、数字譜付というもので、1枚二つ折り計4ページ
タイトル等の表記は
「全國中等學校/野球大會の歌/(朝日新聞社懸賞募集一等當選)/福武周夫作歌/信時潔作曲/大阪朝日新聞社」
日付の記載なし。最終ページに「非賣品」とあります。
 
第1ページが歌詞で、第2ページと3ページが見開きで旋律譜。その音符の下に数字譜と歌詞がふられています。『大阪朝日新聞』 大正15年7月8日 朝刊の1面 に掲載された旋律譜とほぼ同じ。紙面の関係で新聞掲載譜は縦長になっていますが、今回の印刷譜は見開き二頁になっています。別掲歌詞も新聞では縦書き、印刷譜では横書きです。

さて、第4ページを見ると、なんとそれは信時作品ではなく、山田耕筰作曲、齋藤龍作詞の「国際オリンピック大会派遣選手応援歌」が掲載されています。信時作品は楽譜等すべて活字(?)印刷されていますが、山田耕筰作品は手書きの旋律譜です。(耕筰の筆跡ではないと思われます) 『山田耕筰作品資料目録』を、このタイトルで引くと「→ 走れ大地を」とあり、当該ページに似たような印刷譜はありましたが、別資料のようです。

信時潔の曲は初出が大正15年ですが、山田耕筰の曲は、昭和7年頃の作品なので、同じ「朝日新聞社懸賞募集一等当選」の作品を一緒に印刷したものと思われます。

信時と山田の作品が一つに収まっている、という、非常に珍しい例です。




参考文献: 

遠山音楽財団付属図書館編『山田耕筰作品資料目録』http://opac.ndl.go.jp/recordid/000001741921/jpn
 


日本近代音楽財団日本近代音楽館編『山田耕筰年譜』http://opac.ndl.go.jp/recordid/000007633062/jpn


今日のGoogleロゴが野口英世だったので思い出しました。

信時潔は「野口英世」というタイトルの唱歌を作曲しています。
文部省唱歌と言われ、作曲者名は公表されていませんが、自筆譜が残っています。
自筆譜には(信時潔作曲)とカッコ付きで記載され、作詞者は記載なし。
欄外に「十六・十一・四 文部省」という書き込みがあります。

初出は『初等科音楽』(ニ) (昭和17年2月刊) 国民学校四年生用につくられたものです。

野口英世生誕135年を祝して、書き留めておきたいと思います。







11月9日up
スゴイものを見つけました!



「東京文化会館 アーカイブ」

http://i.t-bunka.jp/



1961年開館以来、東京文化会館で開催された演奏会プログラムの情報を検索できます。



なんと、演奏会の名称はもちろん、出演者、作曲者などでも検索でき、演奏会の内容とプログラムの表紙が表示されます。



もしその中身=プログラムに載っている情報、出演者プロフィールや曲目解説等=を確認したければ、東京文化会館の資料室で閲覧できるのでしょう。



ちなみに、「信時潔」で検索してみたら、136件ヒットしました。



1965年、1966年の信時潔追悼演奏会のプログラムも掲載されています。



未発表の作品が初演された、1977年の「音の資料展 ~かくれた音の資料をよみがえらせる会~」も、演奏曲目がわかります。



すばらしい!



このアーカイブ実現のために動いてくださった方に感謝します。



東京都も偉い! 良いもの作ってくれました。 
第五回「沼津文学祭」の今年のテーマは「校歌」。 沼津市内の校歌を最も多く作曲したのが信時潔だった、ということから第2回アラカルト講座に呼ばれ、沼津に行ってきました

numazu-pre.JPG8月6日、沼津市立図書館 視聴覚ホールで、「校歌 日本独自の歌文化-----信時潔と沼津の校歌」というタイトルで講演しました。

パワーポイントで、要点と関連画像を表示しながらの講演。

講演の前半では信時潔の紹介と、日本独自の「校歌」の成り立ちのお話。




kokaGRF.JPGとくに今回、初めて作成して披露したのは、信時作曲校歌のうち、作曲年代が判明している824曲の、年代分布のグラフです。信時潔の生涯の作曲活動、日本の音楽事情、学校教育事情、社会状況、などの影響が、各所に見て取れます。


講演の後半は、沼津市内7つの信時潔作曲校歌の自筆譜から読み取れること、などを紹介しました。




講演のなかでも、沼津市内の信時潔作曲校歌を聴けるホームページとして、沼津西高等学校のページを紹介しました。 同校の音楽専攻の学生による校歌の演奏のほか、MIDI 版、練習用にもなる高声、低声ごとのMIDI演奏、そして、曲の進行にしたがって歌詞の色が変わっていく、カラオケバージョンまで、揃った充実ぶりです。会場ではネットが繋がらないため、お借りしたDVDの演奏を流しましたが、この立派な校歌サイトをご案内しておきます。 
http://www.shizuoka-c.ed.jp/numazunishi-h/koka/koka.htm

去年の4月、NHK(ラジオ)で、現代の校歌代表:小椋佳さんと、昔からの校歌代表:信時潔 というような立場でお話したことがあります。そのときも、信時潔の校歌だけでなく、校歌って何?と一通り調べてみました。

その当時、データが、まんべんなく揃っている、校歌に関するお勧め本は、これでした。

 
それに加えて、昨年出版されたこちらの本が、非常にわかりやすくまとめられていたので、参考にしました。


去年の6月に、「研修」で「校歌に関するパスファインダー」を作って、今もホームページの片隅に置いてあります。http://home.netyou.jp/ff/nobu/page071.html

その中に、YOU TUBE で「校歌」の語で検索したところ4660件ヒット(2010年6月19日現在)、とあるのですが、このブログ記事を書いている1年後の8月13日現在、YOU TUBEでは 約 7,410 件ヒットします。
2倍近くに増えています。ちょうど高校野球のシーズンであり、校歌と言ってもあまり「真面目」じゃない投稿もたくさんあるようですが、ネット世代の若者たちにとっても、「校歌」は気になる存在、ということでしょうか。




 
前回紹介しました坂上昌子先生の「やまとことば」三冊セットは、
好評のため現在品切れ中とのことです。

増刷の折は、またお知らせできると思います。

前回の「詩の分析や解釈」に続いて、信時潔の歌曲、そして日本歌曲を歌う、学ぶために、参考になる資料が届いたのでご紹介します。

坂上昌子著
日本歌曲における”やまとことば”の歌唱法と発声法
平成23年2月発行 

日本声楽発声学会誌 第12,13合併号に掲載(昭和61年3月発表)されたものの抜粋で、このたび私家版として増刷されたとのこと。

「やまとことばを用いるべき作品」として、信時潔作曲の「あずまやの」「鴉」「占うと」(いずれも歌曲集「沙羅」より)のほか、「小倉百人一首より」、「女人和歌連曲」、「紀の国の歌」、「古歌二十五首」 などの曲が挙がっています。そのほかに、山田耕筰、平井康三郎、池辺晋一郎 の作品もあります。

以下は、この資料の入手方法についてのご案内です。

信時潔研究ガイドの雑記帳ページの中、
18. 資料紹介 坂上昌子著『信時潔の作品と”やまとことば”』(2009.2.14)
http://home.netyou.jp/ff/nobu/page060.html#lcn018
の冊子と、3冊セット1,300円 でお届けできる、とのこと。

 (絡先: 木下記念スタジオ 増山歌子 電話、FAX 045-981-9868
 メールは、より転送いたしますので少しお時間がかかります。



 以下に、目次を転記しておきます。

 坂上昌子著
 「日本歌曲における”やまとことば”の歌唱法と発声法」
 
   目次

 はじめに
 I. 日本歌曲の様式的分類とその演奏上の留意点
 II. 日本歌曲における”やまとことば”の位置づけ
    1.やまとことばについて
    2.時代区分
    3.和歌を題材とした日本歌曲一覧
    4.これらの作品がなぜやまとことばを必要とするか
    5.やまとことばの歌唱法による分析
      A.発音について
      B.発音と歌唱の具体例
 III. やまとことばによる演奏法と発声法の接点について
    1.やまとことばにおける発声法について
    2.やまとことばの発音による留意点
      A.母音について
      B.子音について
  おわりに
  参考文献

                          以上





このブログやウェブサイト「信時潔研究ガイド」には、日本歌曲の歌い方、詩の分析や解釈について調べてたどり着く方も多いようです。

そんな方たちの支持を得ている本が『日本名歌曲百選 詩の分析と解釈』(1)(2)の二冊です。
畑中良輔監修、塚田佳男選曲・構成、黒沢弘光解説 (音楽之友社)

この時期に探している方が増えるのは、もしかすると奏楽堂日本歌曲コンクールのせいでしょうか?歌詞や歌い方を深く意識して「日本歌曲」を歌うことが、浸透してきていることを感じます。

信時作品は同書の第1巻に「我手の花」と、組曲「沙羅」の各曲については各1ページづつ、「茉莉花」については2ページ、第2巻に「小倉百人一首より」について4ページの「詩の分析と解釈」が書かれています。

参考までに、以下に、そのほかの収録楽曲を載せておきます。
日本名歌曲百選 詩の分析と解釈 (1)
●滝廉太郎 荒城の月/花
●小松耕輔 泊り舟
●本居長世 白月
●梁田 貞 城ヶ島の雨
●山田耕筰 鐘が鳴ります/六騎(ろっきゅ)/蟹味噲(がねみそ)/病める薔薇(そうび)/木の洞(うろ)/樹立(こだち)/唄/嘆(なげき)/燕(つばくらめ)/愛と祈り/歌曲集「風に寄せてうたへる春のうた」(Ⅰ 青き臥床(ふしど)を/Ⅱ 君がため/Ⅲ 光に顫(ふる)ひ/Ⅳ たゝへよ、しらべよ)/歌曲集「AIYANの歌」(I NOSKAI/Ⅱ かきつばた/Ⅲ AIYANの歌/Ⅳ 曼珠沙華(ひがんばな)/Ⅴ 氣まぐれ)/歌曲集「雨情民謡曲集」(Ⅰ 捨てた葱/Ⅱ 紅殻とんぼ/Ⅲ 二十三夜/Ⅳ 波浮の港/Ⅴ 粉屋念佛)
●斎藤佳三 ふるさとの
●信時 潔 我手の花/茉莉花(まつりくわ)/歌曲集「沙羅(さら)」(丹澤/あづまやの/北秋の/沙羅(さら)/鴉(からす)/行々子(よしきり)/占ふと/ゆめ)
●弘田龍太郎 小諸なる古城のほとり
●成田為三 浜辺の歌
●大中寅二 椰子の実
●橋本国彦 牡丹/なやましき晩夏(おそなつ)の日に/薊(あざみ)の花/黴(かび)/舞/斑猫(はんみょう)
●平井康三郎 平城山(ならやま)/甲斐(かい)の峡(さわ)/九十九里浜
●石渡日出男 汚れつちまつた悲しみに
●清水 脩 サーカス
●團伊玖磨 歌曲集「五つの断章」(一 野辺/二 舟唄/三 あかき木の実/四 朝明(あさあけ)/五 希望)/歌曲集「わがうた」(一 序のうた/二 孤独とは/三 ひぐらし/四 追悼歌/五 紫陽花(あじさい))/歌曲集「三つの小唄」(一 春の鳥/二 石竹/三 彼岸花)
●中田喜直 桐の花/すずしきうなじ/またある時は/たんぽぽ/甃(いし)のうへ/木兎(みみずく)/歌曲集「海四章」(1 馬車/2 蝉/3 沙上/4 わが耳は)/歌曲集「マチネ・ポエティクによる四つの歌曲」(1 火の鳥/2 さくら横ちょう/3 髪/4 真昼の乙女たち)
●別宮貞雄 歌曲集「淡彩抄」/泡/螢/入墨子(いれぼくろ)/涼雨/別後/燈(ともしび)/天の川/青蜜柑/鷺/春近き日に
●三善 晃 歌曲集「聖三稜玻璃」(1 いのり/2 曼陀羅/3 青空に/4 ほんねん)/歌曲集「抒情小曲集」(ほおずき/少女よ/雨の降る日/小曲/五月)

日本名歌曲百選 詩の分析と解釈〈2〉
●小松耕輔 母/砂丘の上
●山田耕筰 赤とんぼ/かやの木山の/来るか来るか/夜曲/みなぞこの月/待宵草(まつよひぐさ)/みぞれに寄する愛の歌/歌曲集「幽韻五章」(Ⅰ 花の色は/Ⅱ 忘らるゝ/Ⅲ あらざらむ/Ⅳ 玉の緒よ/Ⅴ わが袖は)/歌曲集「澄月集」(Ⅰ 山また山/Ⅱ 月をのする/Ⅲ 行きまよひ/Ⅳ ただ澄める/Ⅴ なかなかに)
●弘田龍太郎 叱られて/昼
●梁田 貞 昼の夢
●清瀬保二 なめいし/嫌な甚太
●信時 潔 歌曲集「小倉百人一首」(月見れば/久方(ひさかた)の/花の色は/淡路島(あわじしま)/長からむ/逢ふことの/人はいさ/時鳥(ほととぎす))
●中田章 早春賦
●平井康三郎 秘唱/歌曲集「日本の笛」(祭もどり/かじめとたんぽぽ/親船小船/浪の音/あの子この子/たまの機嫌と/ぬしは牛飼い/びいでびいで/仏草花/関守/追分/夏の宵月/くるくるからから/落葉松(からまつ)/伊那/山は雪かよ/ちびツグミ/渡り鳥/ここらあたりか/あひびき/野焼のころ)
●清水 脩 歌曲集「抒情小曲集」(春の寺/月草/ふるさと/三月/蛇/小曲/朱の小箱/雪くる前/逢ひて来(こ)し夜は/寂しき春/木の芽/桜と雲雀)
●箕作秋吉 歌曲集「芭蕉紀行集」(一 野ざらしを/二 馬にねて/三 海くれて/四 冬の日や/五 あらたふと/六 閑(しず)かさや/七 荒海や/八 五月雨(さみだれ)の/九 菊の香や/十 旅に病て)
●高田三郎 歌曲集「啄木短歌集」(Ⅰ やはらかに/Ⅱ 頬につたふ/Ⅲ いのちなき/Ⅳ 病のごと/Ⅴ 不来方(こずかた)の/Ⅵ ふるさとを/Ⅶ はづれまで/Ⅷ あめつちに)/歌曲集「前奏曲抄」(わたしの心にある三つのものよ/忘却の時にあって/雨は降る/虻(あぶ)は飛ぶ/わたしは帰って行くであろう)
●大中恩 歌曲集「五つの抒情歌 その1」(ふるみち/思ひ出の山/しぐれに寄する抒情/おもかげ/ふるさとの)/歌曲集「五つの現代詩」(広場/骨/さすらい/はたらいた人達/昨日いらっしって下さい)
●古関裕而 白鳥(しらとり)の歌
●中田喜直 悲しくなったときは/未知の扉
●團伊玖磨 歌曲集「萩原朔太郎に依る四つの歌」(一 雲雀料理/二 草の莖/三 遊泳/四 笛〈参考:天上縊死(いし)〉)
●小林秀雄 瞳/落葉松(からまつ)
●猪本隆 悲歌
  
 〈コラム〉短歌の韻律/「――む」をどう発音するか/「む」と「ん」の発音



 

信時潔の作品が多数収録されているローム ミュージック ファンデーションのSPレコード復刻CD集の解説DVDが発行されました。
動画サンプルは http://www.rohm.co.jp/rmf/music5/ にあります。

CDは市販されていますが、DVDは市販されないようです。
DVDは全国の公共図書館 http://www.rohm.co.jp/rmf/naiyou/sp_haifu_ichilan.htmlや、音楽大学図書館などに寄贈されるそうです。

この中でとくに注目されるのは、昭和16年の「海道東征」上演の映像が収録されていることです。(冒頭から57分9秒)
ウェブサイト「信時潔研究ガイド」に掲載している海道東征上演記録
http://home.netyou.jp/ff/nobu/page066.html#lcn020 の中の、 1941年3月14日、現代日本音楽演奏会 (情報局)のニュースフィルムです。場所は情報局講堂。これは帝国劇場のことのようです。当時の新聞には「在京外交団、外国通信、留学生等夫妻約一千五百名を招待」とあり、フィルムには客席の様子も映されています。

もうひとつ、このDVDの信時潔に関する「特典」映像は、チェロを弾く信時潔の姿。冒頭から28分過ぎたあたりに映る、ラウトルップ指揮のハイドン作曲「オラトリオ 十字架上のキリストの最後の言葉より」の舞台写真、チェロ最前列の奏者、ラウトルップのすぐ右が信時潔、その右は岡野貞一です。(28分17秒~)

同DVD中「家族が語る音楽家たちの素顔」には、私も出演しました。まず信時潔が文化功労者となった時のインタビュー映像が流れ(1時間16分13秒~)ます。撮影は信時潔文庫を収める東京藝術大学図書館で行われ、同文庫から「海道東征」の総譜を紹介(1時間17分18秒~)。このブログのhttp://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/45/に書いた「フルスコアの、楽譜中の歌詞(テキスト)の文字の筆跡はミイです。ソロ及び合唱のヴォーカル部分は、楽譜もミイによるものです。それに対して、声以外の、楽器の部分の楽譜は潔の筆跡だったのです。同じスコアを二人が、縦割り(小節線)ではなく横割り(パートごと)で分担していたのです。」 という部分が確認できます。

興味ある方は、是非お近くの公共図書館でDVDをご覧ください。

以下のページにも、このDVDの概要を書いてあります。
http://home.netyou.jp/ff/nobu/page075.html#lcn027
2011年2月、マリインスキー・オペラ日本公演で、リヒャルト・シュトラウス「影のない女」を上演すると聞いて、聴きにいくことにしました。 今回の公演についてはジャパン・アーツのページに詳しい情報があります。

Wikipediaによれば、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B1%E3%81%AE%E7%84%A1%E3%81%84%E5%A5%B3 リヒャルト・シュトラウスの「影のない女」は、1919年にウィーンで初演されたとのこと。実は信時潔は、ドイツ留学中1920年に、このオペラを作曲者の指揮で聴いているのです。ベルリンで楽譜も買い求め、研究しているようです。

『心』という雑誌に寄せた記事で 「R・ストラウスの当時新作のオペラ「影なき女」も作曲者自身の指揮できいた。彼の指揮は手に入つたものである。相当な大作で其頃評判だつたが、今はあまり上演されないようだ。」と書いています。

また、ほかの記事では、同じくR・シュトラウスが歌曲の伴奏を弾くのを聴いて「作曲者の自演には別趣の興味があり作曲学生にとって有益である」と書いています。

「影のない女」が「あまり上演されない」というのは信時が『心』記事執筆当時(1962年)のヨーロッパでのこと。日本では「あまり」どころか、全く聴く事ができなかったわけです。日本初演は、ドイツ初演から65年後のことです。

今回は、ゲルギエフ指揮。知人のジャパン・アーツ スタッフの激賞に動かされ、このオペラを観に、聴きに行ってきます。90年前の上演に思いを馳せながら・・・・・







小泉文夫について書かれた本、岡田真紀著『世界を聴いた男 小泉文夫と民族音楽』(平凡社 1995)の中に、意外にも「信時潔」という文字を見つけた。第一章の、小泉文夫が高校生だった頃の話として、「器楽合奏以外に男[声]合唱も楽しんだ。小泉の趣味は少し他の人と違っていて、西洋の古典音楽よりもむしろ山田耕筰や現代音楽といえる信時潔や高田三郎の抒情的な歌曲を好んで歌っていたという」の一節。

これをきっかけに思い出したので、書き留めておこうと思う。小泉文夫は、かつて東京混声合唱団の「合唱の歴史連続演奏会」(1959)のプログラムに掲載された「日本の合唱 古代から明治大正時代まで」の中で、「洋楽の直輸入の次に当然来るべき課題は、伝統との結合という問題」 「だが今日までつづいているこの問題の解答は、簡単に得られないでいる。山田耕筰のあとの最も注目すべき作曲家は信時潔であるが、氏の場合は、極端な抒情性の追及に走らず、ドイツ風の格調正しい和声体系の上で、簡潔な日本的表現に向かっているようである。交声曲「海道東征」は、合唱音楽におけるその最高の成果といえよう。」と書いている。

小泉文夫は「海道東征」を聴いたのだろうか。「海道東征」が初演された1940年は、小泉文夫が13歳で、府立四中(現都立戸山高校)に入学した年である。同校で、安部幸明の指導を受けている。1944年に旧制第一高等学校(現東京大学教養学部)理科乙類入学、音楽班に入り、ヴァイオリンや合唱の指導をうけた。合唱を指導した高田三郎は信時潔門下でもある。そのような学生なら、おそらく1940年~44年の間に「海道東征」を聴いていただろう。自らの経験もなく、なにかほかの資料を元に「最高の成果」と評したとは考えられない。まだ「戦後」の影響が大きく、朝日放送の「海道東征」再演(1961年)以前の、1959年という時期において、このような評価をしているところが興味深い。

同じ民族音楽学者の小島美子による「民族的な音楽への先駆者たち」(『音楽の世界』連載)などは、信時の音楽は、民族音楽的に「良くない」音楽であるかのように、コテンパンにやっつけている感があり、この小泉の一文を見つけたとき、少しホッとしたというのが正直な気持ちだった。

小泉の言う「簡潔な日本的表現」とはなにか。それがどこにあるのか。次の世代の研究者が、別の言葉で表現してくれればと願っている。

          参考:  小泉文夫記念資料室「小泉文夫年譜」

高知には、もうひとつ気になっている事がありました。戦後早い時期の「海道東征」再演です。演奏のデータは交声曲「海道東征」 上演記録 のページに載せています。

昭和28年、第六回フラワーソングクラブ定期演奏会で、ピアノ伴奏版の上演。翌年の第七回定期演奏会では、高知交響楽団による管弦楽伴奏で上演されました。

私が高知での海道東征上演を調べたのは、昭和62年(1987)のことです。ちょうど阪田寛夫先生が、小説「海道東征」を書かれたあとで、東京での朝日放送の「再演」については、情報が揃ったので、次に岡山、高知、九州での戦後上演の詳細を確認しようと思ったからです。 断片的な情報から、当日の指揮者で、フラワーソングクラブ主宰者の橋本憲佳(海道東征上演当時のお名前は橋本正夫。東京音楽学校在学当時のお名前は後藤正夫)先生に連絡がつき、プログラムや、当時信時とやりとりした葉書のコピーなどを送っていただきました。お手元には当時の録音テープもあるとのことでした。
FlowerSongC1.JPG
 
(橋本憲佳先生に頂いた「海道東征」上演プログラムの複写)


橋本先生とは何度か郵便や電話でのやりとりがあり、いつかお目にかかれればと思っていたのですが、四国訪問の時が来た今回、その橋本先生が2003年に亡くなられたことをインターネット情報で知りました。

昭和28,29年の再演は高知新聞社の後援だったので、『高知新聞』に案内記事、批評記事などがあるかと思っていたのですが、見つけることは出来ませんでした。終戦後8年のこの当時は、まだ新聞のページ数が少なく、記事にはならなかったのかもしれません。

もうこれ以上の情報は出ないかと諦めていたのですが、『高知新聞』の天野記者のご紹介で、﨑山ひろみ様にお目にかかることができました。﨑山様は、開拓・移民の研究者で、高知教会の年史をお持ちで、その当時のことにも詳しい、というところから話が始まったのですが、御自身も高知教会の信徒であるばかりでなく、歌がお好きで合唱団に属したことがある、それがフラワーソングクラブで・・・と話が広がり、海道東征の上演時に舞台で歌っていたことがわかりました。そして、そこはさすが資料研究者だけあって、なんと「海道東征」上演当時のパート譜をお持ちだったのです。

橋本憲佳先生から上演当時パート譜の入手に苦労したことは伺っていました。芸大からはなかなか借りられず、放送局から借りてはどうか、などという話もあったようです。橋本先生からいただいた資料から、下總皖一、木下保らに相談していた様子が伺えます。そして、スコアはどうやら作曲者の手元にあったものを提供したというところまでは判明したのですが、結局パート譜はどこから借りたのか?高知交響楽団に確認してみましょうと仰って頂いたのですが、ついに連絡はなかったので、パート譜はどこから手配したものなのか、はっきりわかりませんでした。

今回﨑山様に見せていただいた楽譜は、最初の数枚の五線紙にNHKの名が入った合唱パート譜(ピアノ伴奏なし)。手書き楽譜の謄写版印刷。それはつまり、東京音楽学校の合唱団が使っていた共益商社版のピアノ・ヴォーカルスコアとは違うものでした。
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(﨑山さん所蔵。「海道東征」合唱パート譜)

表紙のデザインは共益商社の管弦楽版に似せてあります。白ヌキ部分の枠上部、勾玉風のデザインは同じですが、当然のことながら、その上部の日本文化中央連盟主催、 皇紀二千六百年奉祝芸能祭制定、の文字はありません。
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交声曲「海道東征」 共益商社書店 1943.10 管絃楽総譜


以上のような三日間の旅を終えて、帰ってまいりました。

実は、ここにはとても書ききれないほど、高知の方の暖かさに触れる、すばらしい旅でした。祖父・潔も60年前に、ただ道を尋ねただけでも、予想外の親切にあって感激しています。今回の私の旅もそうでした。こんなことを調べてますと、突然現れた私に対して、どの方も本当に親身になって、お世話してくださいました。

ほとんど町の中を、徒歩と自転車(ホテルで貸してもらえて助かりました)で廻りましたが、一日だけ、桂浜まで足を伸ばしました。というのは、60年前に祖父が亀に箸で餌をやれると感心していた水族館を見てみたかったからです。残念ながら、亀はおなかがいっぱいで餌をあげることは出来ませんでした。今年の高知は「坂本龍馬」で一層盛り上がっているようでしたが、そのような観光施設を回る間もなく、みなさまのご親切に接し、充実した三日間を過ごし、いろいろな情報を仕入れてまいりました。

お世話になったみなさま、どうもありがとうございました。
 (この項おわり)





信時潔の実父・吉岡弘毅は高知教会の第二代牧師でした。最終日の朝、教会にお電話で事情をお話したところ、どうぞいらっしゃいとのことで、早速教会に向かいました。実は、現在の牧師様は比較的最近着任なさったと伺っていたので、昔のことはご存知ないだろうと今回直接訪問を躊躇していたのです。ところが副牧師として長らくこの教会にいらしたとのことで、過去のことについても大変詳しく、説明、案内をしてくださいました。

吉岡弘毅が、大阪北教会から、この高知へ移ってきたのは明治21年。『高知教会百年史』によれば、明治21年は、教会の日誌が偶然残っているので、明治21年1月1日に、現在の教会堂の位置に新しい会堂ができたこと、同年6月26日に吉岡牧師が着任したこともわかりました。
前日に、高知市民図書館で『 高知教会百年史』を閲覧していましたが、閲覧席でざっと目を通しただけでは、情報を拾いきれず、不安に思っていたところ、教会にまだ在庫があるそうで、一冊頒けていただきました。(頒価2,000円)
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吉岡弘毅牧師時代の長老には「片岡健吉」「坂本直寛」の名もあり、信徒の数は明治21年512名、明治25年578名。教会堂は現在の建物が三代目で、建物の向きは変わりましたが同じ敷地内だったそうです。
写真は、今現在の教会ですが、中央やや左寄りに見える蘇鉄(そてつ)や、その周りに配された石は最初の会堂が出来た時=明治21年当時からここにあるのではないか、とのことでした。

教会の場所は高知市本町、自宅は鏡川に面した西唐人町のこのあたり。直線距離で800m程。吉岡一家の子供たちも、両親と一緒に教会に通ったのでしょうか。教会にはオルガン、そして西洋音楽もあったでしょう。         

(つづく) 

吉岡愛著『父を語る』には、「土佐生活中に於て忘れんとしてわすれることのできぬ今一つの記憶は、大洪水の経験である」とあります。三つ違いの潔も、「前の川が氾濫すると畳を積み上げて二階に移り」「川上から色々な物が流れて来るのを眺めました」と書いています。

高知県立図書館の『高知県災害異誌』(1966序)によれば、明治23年9月11日の台風で、大きな被害が出たようです。新聞を丹念に調べたわけではありませんが、9月26日の『土陽新聞』には、「本月十一日ノ洪水ハ実ニ未曾有ノ変災ニシテ」と義捐を求める記事がありました。

現在の地図を見ても「唐人町」というのは川沿い一列だけの「町」です。一階の座敷が一面浸水して、二階で過ごしたという家は、この川沿いのどこかにあったのでしょう。
 

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「対岸の天神様」というのは、潮江天満宮でした。
 

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その天神様の手前にある大楠は地元の方は誰でも知っているようです。
その大楠の枝振りを見て、潔少年が、 3歳上の兄・愛(メグム)、8歳上の兄・徹と、この木によじ登ったり、川に向かって飛び込んだりしていた姿が浮かんできました。

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良く遊びにいったという旧城址、高知城。兄・愛も腕白仲間と探検に行った、などと書いています。

     

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そして、いよいよ最後の日に、潔の父・吉岡弘毅が、その二代牧師となった「高知教会」を訪ねました。
 

(つづく)


信時潔は、明治20年代に「高知市西唐人町」に住んだということですが、詳しい番地まではわかっていません。

「幸い元住んでいたあたりに宿が得られ」とあるのが、いったいどの旅館かと、事前に多少調べたのですが、決め手がなく、六十年も経っては仕方ないと諦めかけていたところ、鏡川沿いにある木造二階建ての旅館が目に留まり、ピンと閃きました。それは、割烹旅館「臨水」さんです。突然のことでしたが、事情をお話したところ、女将とそのお母様が快くお話をしてくださいました。
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現在の「臨水」は戦後山内家宝蔵跡に、同じ鏡川沿いの「潮江橋」の北詰に建てられた「本館」に対して「新館」として建ったもの。信時潔が昭和27年に宿泊したのはどうやら昭和初年に開業した「本館」だったようです。
(右写真は、現在の「臨水」です→)

現在の割烹旅館「臨水」のホームページにも、昭和初年に建てられた木造三階建ての旅館の写真が載っています。高知は空襲に遭い、町が焼けてしまったそうですが、この「本館」は地域の方の協力で残ったそうで、昭和27年頃は旅館として営業していたとのこと。

その頃の「宿帳は残っていませんか」と尋ねてみましたが、昭和50年代に二度にわたって鏡川が氾濫し、帳場も水害に遭ったため残っていないそうです。

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「その二階の縁側から、川をへだてて前に横たわる筆山(ひつざん)の姿を眺め」たその景色は、たぶんこのようなものだったのでしょう。赤い橋が「天神橋」です。「近所の豆腐屋の売子たち」が、天神橋の「欄干に腰掛けておやつに貰った油揚げをたべていたのが目に浮びます」とあるのは、「唐人町」についての、このページにある情報と結びつきました。http://www.massage117.com/pc-choumei-nishi-toojin-machi.html 明治時代の西唐人町は、確かに豆腐屋さんの町だったようです。
(つづく)
信時潔ゆかりの地を訪ねるシリーズの続編として、9月の連休を利用して、高知に行ってきました。

「120年後の高知」というタイトルは、信時潔が書いた「60年ぶりの高知」というエッセイにちなんで付けた物です。実はそのエッセイは、神奈川近代文学館の目録を検索していて、偶然見つけたものです。ネットでも公開されている同館の蔵書目録で著者「信時潔」として検索したところ

朝日放送編 『小さな自画像:“わが幼き日"101人集』 東京 朝日新聞社 1954.6.30(昭29)  (朝日文化手帖 29 )

がヒットしたので、閲覧請求してみたところ、信時潔 「六十年ぶりの高知」 が出てきました。

見開き2ページの短いものですが、0歳から5歳ぐらいまでを過ごした、高知についての記憶がさほどあるとは考えていなかったのでちょっとした驚きでした。

「私は明治二十年大阪江戸堀に生れ、一ヵ月たって土佐の高知に移り、六歳の時まで同市の鏡川に沿う唐人町におりました。そして昨年六十年ぶりで幼なじみの高知を訪ねました。」で始まる文章。(実際高知に住んでいたのは何歳から何歳までか、については、もう少し検討が必要だと思います) これを読んで以来、高知は気になる土地でした。

今年、まずは航空券を手配して、自分の決心を固め、現在わかっていること、調べたいことを整理して、高知に向かいました。

高知について、もうひとつ参考になるのは、吉岡愛著『父を語る』です。この本は、信時潔の父、牧師だった吉岡弘毅について、潔の三つ年上の兄、吉岡愛(めぐむ)が書いたものです。その一部に「吉岡愛伝 我が辿り来たりし途(自叙伝)」が掲載され、「我が少年時代 その一 高知時代」には、当時の様子が詳しく書かれています。

以上の資料を主な手がかりとして、信時(当時は吉岡姓)潔が約120年前に幼少期を過ごし、約60年前に再訪した高知を、さらに60年ぶりに訪ねる旅となりました。

三日間の滞在で、本当にいろいろなことがありまして、とても全部は書ききれませんが、ゆかりの地の写真をいくつか紹介いたします。
(つづく)

古書店に「海ゆかば」の初版譜が出ているのを見つけました。
既に同じものを持っていましたが、信時家に残っていたものなので、
それは著作者分として入手したもの。一般に流布したものとは事情が違います。

どんな人が持っていたのか、なにかその様子は読み取れないかと期待して取り寄せてみました。

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それが、これです。


前から気になっていたことがあります。

「日本近代音楽館」には、多くの作曲家、音楽家の文庫、コレクションがありましたが、この楽譜を持っている人は一人も居ませんでした。
このあとに発売された共益商社版は、いくつか所蔵がありました。

この初版譜は、奥付に「頒布の趣旨」が書かれています。「わかもと本舗栄養と育児の会」が組織した「教育資料会」が昭和12年11月に発行(非売品)し、全国の小学校に無料頒布したものです。

流布した目的、ルートが違うので、音楽専門家のところには届かなかったのでしょう。

それでは、どんな人が持っていたのか?

小学校で無料頒布した記録、などというのはあまり出てきそうにありません。

「わかもと本舗」は、いまもなお続く製薬会社ですので、会社の記録を調べていただいたこともあります。
いくつか「教育資料会」についての資料はありましたが、この「海ゆかば」の楽譜について、全国で何部を、どの学校に、どのようにして配ったのか、といった資料は見つかりませんでした。

そのようなわけで、当時の小学生として、この楽譜を受け取った人たちが居ないか、知りたかったのです。

届いた楽譜昭和12年発行、73年を経た楽譜にしては、汚れもシミも少なく、綺麗に保管されていたようです。

左側に二つ穴で綴じた跡があります。千枚通しで穴を開けて、お気に入りの楽譜を束ねていたのでしょうか。
そのほかには、書き込みなど、持っていた人の何かが伝わってくるような事は見つけられませんでした。
綴じて保管していたというのは、持ち主は楽譜にこだわりのある方だったのでしょう。

昭和12年にこの楽譜を入手し、あの時代を通り抜け、終戦を迎え・・・これを持っていた人はどんな暮らしをしていたのでしょう。この楽譜はここに至るまで、どんな所を通ってきたのでしょうか・・・・

当時の小学生として、この楽譜を持っていたという人、記録がどこかに無いか、引き続き探してみたいと思っています。(資料そのものではなく、情報を求めています。)












2月のある日、NHKの方から突然電話をいただきまして、FM放送出演のお話でした。日曜喫茶室という番組で今回は「校歌」がテーマとのこと。私がホームページ「信時潔研究ガイド」に掲載している信時潔作曲の約900曲の校歌リストが目にとまって、出演のお話が来たのだと思います。
校歌に詳しい方はほかにいくらでもいらっしゃるだろうと思いますが、研究発表というわけではないのですし、こんな機会は二度とないでしょうから、何事も経験、とお引き受けして録音に行って来ました。

共演するゲストはなんと、あの、小椋佳さん。最近ポピュラー音楽を聴いていないので、真っ先に浮かんだ旋律は「シクラメンのかほり」。「俺たちの旅」は主題歌とともにドラマの出演者の顔が浮かびます。自分よりちょっと年上の人々の「青春」にあこがれたものでした。井上陽水の「白い一日」も小椋佳作曲なんだそうですね。「オナカの大きな王子さま」も、アニメの絵とともに、思い出します。実は最近、朝日新聞の特集で、息子さんとの関わりについてのかなり感動的な記事を読んで小椋佳さんの名前を思い出して、ホームページなど訪ねてみたことがあったのですが。まさか放送でご一緒することになるとは思ってもみませんでした。校歌と小椋佳さん--実は校歌が、いくつもあるそうで、とても評判が良いのだそうです。(詳しくは放送を聴いてください。)

当初の放送予定は、3月の最終日曜だったので卒業、入学の季節にぴったりだったのですが、2月の放送が津波関連報道のため延期になり、「校歌」の話もひと月遅れで4月25日放送となりました。

録音当日、喫茶室に見立てた放送スタジオでは、「ウエイトレス」役のアナウンサー小泉裕美子さんが、本当に飲み物の注文をとりに来て運んでくださるので、ありがたく頂戴しました。喫茶室の「マスター」のはかま満緒さん、「ご常連」の轡田隆史さん、そして「お客さま」は小椋佳さんと私。おおまかな進行の打ち合わせはあったものの、それだけにとどまらず、話ははずみ、録音は予定時間を大幅に上回りました。時間内に収まるように編集されるようです。

「いま」の校歌の作者代表が小椋さん。過去の校歌、長年にわたって歌い継がれている校歌のことをお話しするのが私の役どころ、というつもりでしたが、うまく伝わったでしょうか。

番組の中で、私のリクエスト曲=おすすめの曲として、『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』の中から、私が一番好きな曲「丹沢」(独唱 木下保)を。また、信時潔作曲の校歌を代表して「慶應義塾塾歌」をお届けします。

4月25日(日曜) NHK-FM 12:15から14:00 に放送されます。
日曜喫茶室 「今も校歌を歌えますか?」 是非聴いてください。
 
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NHK スタジオにて。
(左から 小泉さん、はかまさん、小椋さん、 右端は轡田さん。)

 

 

本サイトの「演奏奏会・イベント情報」ページでもご案内している、音友ホールの日本歌曲シリーズの <信時潔 没後45年に寄せて>は、久々の信時作品連続企画です。去る2月22日に行われた同企画第1回コンサートでは、ベテランから若手まで、日本歌曲の名演奏家が、これもべテラン伴奏者塚田佳男先生の伴奏で、しかも全曲畑中良輔先生の解説付きで、演奏されました。

畑中先生は、歌曲集「沙羅」の全8曲についても、それぞれご自身の経験や思いを話されたのですが、「沙羅」については次のようにコメントされました。


 
 一番の傑作「沙羅」。
  露(つゆ)一滴(いってき)落ちる音。
  音の無い世界を音で現わす。
  信時作品の中でも最高の歌曲だと思う。

これだけでも詩になりそうな、CDの帯に使えそうな言葉です。

実は私、これまで、歌曲集のタイトルは何故「沙羅」なのだろう、曲のスケール、完成度からいって、最高なのは、第一曲の「丹沢」だろうに、と思っていたのですが。

何度も聴き、歌い、指導していらして、今年米寿を迎えられた先生の言葉に、ふと気持ちが停まりました。

「信時潔」シリーズ演奏会は、このあと4月14日、6月18日の公演があります。名演奏と、名解説を、是非多くの方に聴いていただきたいと思います。









「海道東征」の上演記録をリストにしてみました。

東京音楽学校はもちろん、放送、アマチュア楽団・合唱団、藤原歌劇団、宝塚歌劇団、日劇ステージショウまで・・・上演データは現在62件あります。(イコール公演回数ではありません)


リストの掲載場所は
「信時潔研究ガイド」 http://home.netyou.jp/ff/nobu/index.html
の中の、「雑記帳」のページ http://home.netyou.jp/ff/nobu/page028.html
の 20番です http://home.netyou.jp/ff/nobu/page066.html#lcn020


地方での公演など、つかみきれていないものもたくさんあると思われます。
リストにない上演など、情報をお寄せください。
東京芸術大学附属図書館に「信時潔文庫」が設置されました。これを記念して、11月2日より、「海道東征:信時潔自筆譜展」が開催されることになりました。

さっそく初日に、様子を見に行ってきましたので、簡単にご紹介します。

展示日程など、詳しくは芸大による案内をご覧ください。 
チラシダウンロードもあります)
10月29日の朝日新聞でも紹介されています(こちらのページに詳しく書いています
 

ご案内を差し上げた皆様から、芸大の中って?図書館ってどこ?行けばわかる?などとよく聞かれましたので、そのあたりから、写真つきで、ご案内します。


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JR上野駅に着いたら、まずこの「公園口」に出ます。

横断歩道を渡って「東京文化会館」と「西洋美術館」の間の道を「上野動物園」に向かって進みます。




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右側に交番が見え、その奥に噴水が見えてきます。

噴水の左側の道を通って、噴水(池)が終わってから公園内の道を左方向に曲がると・・・



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旧東京音楽学校奏楽堂の前に出ます。
この建物は、以前東京芸術大学の敷地内にあったものですが、老朽化が進み学内での役割を終えて、ここに移築・保存され、今は台東区の関係財団によって管理・運営され、演奏会や展示に活用されています。
信時潔作曲の多くの作品が、この「奏楽堂」で演奏され、両翼の小さい部屋にはレッスン室もありました。



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旧奏楽堂の前を通り過ぎ、車道に出たら左方向に見える信号のところが
芸大です。

図書館は道路左側の「美術学部」の敷地内にあります。



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ここが美術学部入り口です。駅からの所要時間は大体10分ぐらいでしょうか。






geidai06.JPG守衛所の奥左側に図書館の建物があります。

今は「海道東征 信時潔自筆譜展」の大きな看板も出ています。
(写真左側)




geidai07.JPG図書館の建物に入ってすぐ、一階ホールには校歌の一覧が展示されています。ウェブサイト「信時潔研究ガイド」に掲載している校歌リスト(信時裕子編)を今回の展示のために都道府県別に配列しなおしたものです。
多い県少ない県、母校で、甲子園大会で聞いたことがある校歌・・・などなど立ち止まってじっくり見入る方が多いようです。




geidai09.JPGgeidai08.JPGこのような関係写真が一階から二階にかけて、壁面に展示されています。信時潔の学生時代ばかりでなく、教職に就いている間の歴代の東京音楽学校卒業写真には、聞き覚えのある名前がたくさん見つかるはずです。


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自筆譜は、図書館の2階目録室で展示されています。






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展示ケースの脇のパンフレット棚に、カタログ(無料。全8ページ)が置かれています。











P1020753.JPG 感想ノートも置かれています。皆様も、ひとこと、どうぞ。






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美術学部から信号・横断歩道を渡った正面が信時潔にゆかりの深い音楽学部の入り口です。かつては奏楽堂もこの奥にありました。






 海道東征 信時潔自筆譜展

    会期: 2009年11月2日(月)~11月28日(土) *日祝日休館 
            平日 9:00~20:00、土曜 9:00~17:00
    会場: 東京藝術大学附属図書館 2階目録室  

*-*-*-*-*
作曲家・信時潔の人と作品に関するあれこれ、ならびにCD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成 』にまつわるウラ話などを書いています。
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 日本伝統文化振興財団
企画・構成・復刻:郡 修彦
構成・解説:信時裕子
CD6枚組、別冊解説書
(B5変形判 全144頁)
15,750円(税抜15,000円)
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