信時潔の実父・吉岡弘毅は高知教会の第二代牧師でした。最終日の朝、教会にお電話で事情をお話したところ、どうぞいらっしゃいとのことで、早速教会に向かいました。実は、現在の牧師様は比較的最近着任なさったと伺っていたので、昔のことはご存知ないだろうと今回直接訪問を躊躇していたのです。ところが副牧師として長らくこの教会にいらしたとのことで、過去のことについても大変詳しく、説明、案内をしてくださいました。
吉岡弘毅が、大阪北教会から、この高知へ移ってきたのは明治21年。『高知教会百年史』によれば、明治21年は、教会の日誌が偶然残っているので、明治21年1月1日に、現在の教会堂の位置に新しい会堂ができたこと、同年6月26日に吉岡牧師が着任したこともわかりました。
前日に、高知市民図書館で『 高知教会百年史』を閲覧していましたが、閲覧席でざっと目を通しただけでは、情報を拾いきれず、不安に思っていたところ、教会にまだ在庫があるそうで、一冊頒けていただきました。(頒価2,000円)
吉岡弘毅牧師時代の長老には「
片岡健吉」「
坂本直寛」の名もあり、信徒の数は明治21年512名、明治25年578名。教会堂は現在の建物が三代目で、建物の向きは変わりましたが同じ敷地内だったそうです。
写真は、今現在の教会ですが、中央やや左寄りに見える蘇鉄(そてつ)や、その周りに配された石は最初の会堂が出来た時=明治21年当時からここにあるのではないか、とのことでした。
教会の場所は高知市本町、自宅は鏡川に面した
西唐人町のこのあたり。直線距離で800m程。吉岡一家の子供たちも、両親と一緒に教会に通ったのでしょうか。教会にはオルガン、そして西洋音楽もあったでしょう。
(つづく)
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