CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』解説書では、人名もかなり詳しく調べたつもりです。
『現代音楽大観』にも、ずいぶんお世話になりました。「現代」といっても「昭和2年刊」。(ある種「紳士録」的なものだったようで、これに信時潔は載っていません。その種のものに名前を載せないという信時らしさに、ついニヤリとしてしまうのですが・・・)ジャンルごとに名前の「いろは順」なので少々使いづらかったのですが、昨年ゆまに書房から刊行された同書の復刻版
『昭和初期音楽家総覧(全3巻)』には、索引がついてとても使いやすくなりました。
ところで、芝祐孟です。この名前に出会ったのはDISC 4に収録されているヴァイオリン独奏曲「あやつり人形」の初版譜の解説でした。この譜のヴァイオリンの運指法を書いたのが芝氏なのですが、初演者だったのか、あるいは新響社で出版する折に福居氏のつてで知り合ったのか? 「芝」「祐」と来ればやはり雅楽の家の方。明治以降の雅楽師たちは、西洋音楽の楽器もこなしました。上記『現代音楽大観』の雅楽の項に「芝祐孟」が載っていました。困ったのは読みです。いくつかの資料から推測はできましたが決め手が無く、経歴も追いきれない・・・ということで今回のCDの解説では詳しく触れずに済ませました。
ところがつい先日、偶然、「名前のよみ」の答えを見つけました。芝祐孟(しば すけもと)と読むのだそうです。 載っていたのは
斎藤龍著『横浜・大正・洋楽ロマン 』(丸善ライブラリー) 。祐孟の長女でハーピストの芝侃子(しば なおこ)氏から「すけもと」と教えていただいた、とあるので、これは確かでしょう。(同書には侃子氏提供の芝祐孟肖像写真も掲載。) 堀内敬三著『音楽五十年史』に引用されている白井嶺南の調査による大正二年の主要演奏会33のうち、ヴァイオリンの芝祐孟が4回出演(ヴァイオリン奏者では最も多い)、という説明もありました。
さて、名前の読みも判明し、大正期に活躍したこともわかってきたものの、信時潔との関係は見えてきません。「あやつり人形」は大正2年作で、初版譜の発行が、信時が留学から帰った後の大正14年。その間に(普通に考えれば作曲後まもなく)芝祐孟が演奏したであろうことは十分考えられるのですが、残念ながら確かな情報は何も得られません。 元々雅楽師ですから、一般新聞雑誌には現れない、宮中での催しで演奏されたということも考えられなくもありません。あるいは、共に多カルテットのメンバー多久寅や、親友のヴァイオリン奏者川上淳が初演した、ということもあるかもしれません。(最近ご遺族に伺ったところによれば川上淳氏は独奏会など公開演奏はほとんどしなかったとのことですが)
ヴァイオリン曲「あやつり人形」の初演は、いつ、誰だったのでしょうか。
追記
『雅楽事典』にも、芝祐孟の項があります。
http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/37/芝祐孟(しば すけもと)と「あやつり人形」
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