東京芸術大学附属図書館の貴重資料画像データベースが、ネット上で公開されています。
http://images.lib.geidai.ac.jp/
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CDの解説準備中には、見つけられなかったのですが
その中に
上野児童音楽学園の写真がありました。
タイトルは、「皇后陛下行啓演奏会御前演奏する上野児童学園園児」
しかも備考には「演奏:上野児童学園;上野児童学園合唱団。文部省製作フィルムあり 昭和9年4月21日」と書いてあります。
DISC 5-01の「皇太子殿下御誕生奉祝歌」は演奏者が違うのですが、そのフィルムには、同曲の上野児童音楽学園による演奏が収められているのでしょう。
この作品は、同名あるいは似た名前の作品がたくさんあり、資料には時に誤記されていたり、作詩者、作曲者、曲名、楽譜(旋律)、歌い出し(歌詞)が揃って記録されているものが少なく、調査は難航しました。
東京芸大の『百年史』、金田一春彦先生の『日本の唱歌』、郡修彦氏によるSPレコードの情報(信時作品以外も含めて)、そして、偶然見つけた当時の発表演奏会の資料などで、ようやく事情がわかってきました。
ところで、その上野児童音楽学園が歌う「海道東征」の「童ぶり」(
第五章 速吸と菟狭)をSPレコードで聴いていた耳に、2003年、オーケストラ・ニッポニカによる「海道東征」再演の児童合唱は衝撃でした。(この再演時の児童合唱は、東京滝野川少年少女合唱団)
「衝撃」というのは「酷い」ということではなく、それはそれは素敵でした。まあ~~なんて皆さんお上手、なんて綺麗なんでしょう、と思いました。日ごろ児童合唱を聴く機会がないせいもあるでしょうが、三善晃の「オーケストラと童声合唱のための<響紋>」を初めて聴いたときの衝撃も同じようなものでした。
オーケストラも、児童合唱も、「今の」演奏をして良いのだ、と感じた「再演」でした。
上野児童音楽学園の歌を「あれはいただけない」と評した方がありました。
たしかに、現在の歌い方を、基準に考えると、かけ離れたものではありますが、あれはあれで、昭和15年当時の「いま」だったわけです。
甦える童謡歌手大全集(CD) の童謡歌手や、今回のDISC 3 に収めた「電車ごっこ」「一番星みつけた」などの唱歌も、当時の主流の歌い方でした。
そのお手本を示したのは何だったのでしょうか?童謡・唱歌・子供のための歌を作る人、教育に携わる人、レコード制作者の「理想」の歌い方は一致していたのでしょうか。
おそらく「上野」は、それまでの童謡歌手たちとは違った、新しい模範となるべく演奏を披露していたのだと思います。
http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/26/上野児童音楽学園
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