新保祐司著『信時潔』(構想社)の表紙に載っているこのピアノは、スタインウェイのアップライトピアノ。
決して上手いピアノ弾きではなかったが、このピアノは大変気に入っていたらしい。
私が子供の頃、ピアノを習い始めるときに、横浜・元町の大塚ピアノに、アップライト・ピアノを選びに行ったそうだ。店に並ぶピアノから、一番良いのを選んでくれた時に、「おれのシュタインウエイにはおよばないけどな」と笑っていたとか。
そのスタインウェイのアップライトピアノは、知人の清野主(きよの・つかさ)さんから贈られたもの、と伝わっている。清野氏はアメリカで椿の栽培で成功した方で、長くアメリカにいたが、戦争が激しくなった頃、日本に戻った、などと断片的に伝え聞いていた。たぶん大阪・市岡中学の同級生ではないか、とのことで、それ以上詳しいことがわからなかった。
改めて調べてみたところ、どうも以下のページにある「ツバキ・キング」氏らしい。
http://www.discovernikkei.org/ja/journal/2015/10/30/beikoku-31/
市岡の同窓では?という件については、上記リンク先の記事に「大阪の岸和田中学を卒業後、単身渡米しテキサスに行き」とあり、市岡ではないようだ。
ツバキで成功した人だとしても、スタインウェイのピアノをプレゼントするというのは、どういう知人なのか。大阪の教会関係?あるいは清野氏の父は岡山の医師とのことなので、実父・吉岡弘毅のつながりか。(吉岡弘毅の父・吉岡有隣は岡山県・福渡に住む医師だった)
譲りうけた時期も正確には把握できていない。上記ページに「
日米開戦の少し前に日本を訪れていた清野は帰国の道を閉ざされ、財産も没収された」とある「帰国」の後だとは思えないのでおそらく「前」だろうが・・・未だに判断できないでいる。
なお、元町の大塚ピアノで、祖父・潔に選んでもらった私のアップライトピアノは、我が家で持ちきれなくなって困っていたときに、ちょうど小石川図書館の「図書館を利用する音楽家の会」
http://www.za.em-net.ne.jp/~toonkai/ が、ピアノを募集していたので引き取ってもらったのだった。(どのように使ってもらっても、処分されても、構わないということでお渡しした)
http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/207/信時潔のピアノ 1