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の・ぶ・ろぐ   ・・・・・・・・・・  作曲家・信時潔の人と作品に関する最新ニュースや、日々思いついたことなどを書いています。
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信時潔研究ガイドは、以下に移転しました。

https://nobutoki.com/

当ブログの内容も大部分移転しています。
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ホームページ「信時潔研究ガイド」は2016年5月に移転・リニューアルしました。
新しいホームページは こちらです。
http://www.nobutoki.sakuraweb.com/

このブログ「No-b-log」も、新しいホームページの一部に「No-b-log 2」として継続していきます。
http://www.nobutoki.sakuraweb.com/index.php?page_id=13#_131

過去の当ブログ記事については、いまのところ変更なく、そのまま置いていますが、「ゆかりの地を訪ねて」シリーズなど少しづつホームページにも転載していきます。

よろしくお願いいたします。
女子学習院の「はなすみれ」および唱歌「花すみれ」は、ちょっと複雑な来歴がありまして、CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成』の解説でも少し書いたのですが、字数も調査時間も足りなくて、書き尽くせなかった点が多々ありました。

この春、学習院の作曲当時の事情を含めて調べ上げた、すばらしい論文が届きました。

津上恭子著「信時潔作曲 二つの《はなすみれ》」 付記―山田耕筰作曲《花すみれの御歌》
『学習院女子部論叢』第12号 (学習院女子中等科・高等科 2016・3) pp.80-110

本文中の各作品の楽譜も掲載されています。
(信時潔、山田耕筰の著作権保護期間は満了しています)
著者の津上先生は、長く学習院女子中等科の教諭を務められ、この3月に退職されたそうです。

なぜ、女子学習院の「はなすみれ」は作り変えられたのか?
なぜ、ほぼ同時期にセノオ楽譜から山田耕筰と信時潔それぞれの「花すみれ」が出版されているのか?
学習院内部の伝承や学校史の資料をも、かなりしっかりと拾い上げていて、読みごたえがあります。

なお、学習院の「はなすみれ」はこちらで聴くことができます。
http://www.gakushuin-ouyukai.jp/wp/?page_id=1715

先日、この旋律(民謡?) に心当たりありませんか?と書いた旋律(民謡?)について、Twitterで@Tapkaraさんから、情報をいただきました。

まずhttp://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/209/ の 「その1」については「鴨緑江節」ではないかと。
これはYOUTUBEで
https://www.youtube.com/watch?v=9N1f3l96TlU
などを聴いてみたところ、ほぼ間違いなさそうです。

「その2」については「ノーエ節」ではないかとのこと。

ノーエ節はいろいろなバージョンがあるらしいので、いくつか聴いてみました。
その中で、このエノケンの唄うノーエ節(冒頭から50秒ぐらいから開始)が近いようでした。
https://www.youtube.com/watch?v=tA5V_rhgVuA
映画は新しい(戦後の)ものらしいですが、エノケンですから、大正から昭和の初めの歌い方からさほど遠くはないと思われます。

「その2」の楽譜の冒頭のcからdへの9度の跳躍が、普通の唄にはあり得ないので謎だったのですが。エノケンの歌い方を聴いてみればそれもありかと納得。cから9度上のdへの跳躍は三味線などの音が記憶に残っていたのかもしれません。

はっきりとは言い切れませんが、この旋律が残されている楽譜は信時潔がドイツ留学中(大正9年~11年)に、記憶をたどって書き留めた(旋律+ピアノ譜)可能性が高いものです。

@Tapkaraさん、情報ありがとうございました。

引き続き その3 の情報もお待ちしております。








国立国会図書館デジタルコレクションで信時潔「小曲集」第3集、第4集がインターネット公開されています。

第3集は
かへりみ(北原白秋詩)
色あかき三日月(北原白秋詩)
「ルバイヤット」より(蒲原有明訳)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/987597/1


第4集は
ばらの木(北原白秋詩)
わすれな草(上田敏訳)
つなで(北原白秋詩)
野火
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/987598/1

同じ小曲集の第1集もデジタルコレクションにあるのですが。
夕焼(北原白秋詩)
山の母(西條八十詩)
お玉杓子

こちらは西條八十が著作権保護期間中のため、インターネット公開されていないようです。

なお、これら小曲集の各曲は、ほとんどが
春秋社版『信時潔独唱曲集』に収録されています。

信時潔著作・執筆の一覧をWEBサイトで公開しました。
今までわかっているものをまとめました。

あわせて、信時潔著「旅と音楽」の全文PDFを公開しました。
ウェブサイト 
http://home.netyou.jp/ff/nobu/index.html
から、
信時潔著作・執筆に進んで
2.執筆および座談会等
のなか(発表年代順です)の1941年5月に
信時潔著
 旅と音楽―主として創作の角度から 『山小屋』 112 1941.5 pp.2-4 
がありまして、その右側に全文PDFへのリンクを置いています。

なお、青空文庫にアップして下さる方があれば、データ、関係資料提供します。
左記に「連絡先」がありますので、よろしくお願いいたします。
前回に続いて、民謡か、小唄か、何かわからないのですが、謎の旋律を載せます。
信時潔の資料の中に、この旋律を書き留め、ピアノ伴奏をつけたような譜があります。
譜は省略しましたが、これにはいかにも三味線で弾いてる感じの前奏があります。
歌詞、歌われた場、地域などはわかりません。
曲名などにお心当たりある方、
infonobutoki-kiyoshi.sakura.ne.jp (■を@に変更してください)まで御教示いただければ幸いです。


サンプル音源 民謡?その3 ダウンロード(全)

(画像、音声を「前半のみ」から「全曲」に差し替えました 2016.2.13)


 
民謡か、小唄か、何かわからないのですが、次の二つの旋律が何なのか、わからなくて困っています。信時潔の資料の中に、この旋律を書き留めたものが、複数あるのです。



おそらく、明治~大正期に流行った、誰でもが知っていたような旋律だと思われます。



歌詞とか、歌われた場や地域がわかれば、もう少し探しようもあるのですが、旋律しかわかりません。ご存知の方は、すぐわかるような、よく知られたものだと思うのですが。


メール   infonobutoki-kiyoshi.sakura.ne.jp  (を@に変更してください) まで御教示いただければ幸いです。



サンプル音源 民謡?その1 ダウンロード






サンプル音源 民謡?その2 ダウンロード


※この続きは http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/213/ を御覧ください。
(2016.2.13追記)

新保祐司著『信時潔』(構想社)の表紙に載っているこのピアノは、スタインウェイのアップライトピアノ。 決して上手いピアノ弾きではなかったが、このピアノは大変気に入っていたらしい。

私が子供の頃、ピアノを習い始めるときに、横浜・元町の大塚ピアノに、アップライト・ピアノを選びに行ったそうだ。店に並ぶピアノから、一番良いのを選んでくれた時に、「おれのシュタインウエイにはおよばないけどな」と笑っていたとか。

そのスタインウェイのアップライトピアノは、知人の清野主(きよの・つかさ)さんから贈られたもの、と伝わっている。清野氏はアメリカで椿の栽培で成功した方で、長くアメリカにいたが、戦争が激しくなった頃、日本に戻った、などと断片的に伝え聞いていた。たぶん大阪・市岡中学の同級生ではないか、とのことで、それ以上詳しいことがわからなかった。

改めて調べてみたところ、どうも以下のページにある「ツバキ・キング」氏らしい。

http://www.discovernikkei.org/ja/journal/2015/10/30/beikoku-31/

市岡の同窓では?という件については、上記リンク先の記事に「大阪の岸和田中学を卒業後、単身渡米しテキサスに行き」とあり、市岡ではないようだ。

ツバキで成功した人だとしても、スタインウェイのピアノをプレゼントするというのは、どういう知人なのか。大阪の教会関係?あるいは清野氏の父は岡山の医師とのことなので、実父・吉岡弘毅のつながりか。(吉岡弘毅の父・吉岡有隣は岡山県・福渡に住む医師だった)

譲りうけた時期も正確には把握できていない。上記ページに「日米開戦の少し前に日本を訪れていた清野は帰国の道を閉ざされ、財産も没収された」とある「帰国」の後だとは思えないのでおそらく「前」だろうが・・・未だに判断できないでいる。

なお、元町の大塚ピアノで、祖父・潔に選んでもらった私のアップライトピアノは、我が家で持ちきれなくなって困っていたときに、ちょうど小石川図書館の「図書館を利用する音楽家の会」http://www.za.em-net.ne.jp/~toonkai/ が、ピアノを募集していたので引き取ってもらったのだった。(どのように使ってもらっても、処分されても、構わないということでお渡しした)

(つづき)
産経新聞大阪版(夕刊)で2015年8月31日から9月30日に全24回にわたって連載された「海道東征を紡ぐ 信時潔物語」へのリンク集(つづき)です。
 
(9)近代の波・内国勧業博、活気づく“大大阪”へ向かう青春時代
 http://www.sankei.com/west/news/151227/wst1512270012-n1.html
 

(10)若き芸術家に影響与えた船場、千日前、中之島…“原風景”
http://www.sankei.com/west/news/151228/wst1512280010-n1.html

(11)異なる才を認め合った友、田宮猛雄…きらめきは晩年まで
http://www.sankei.com/west/news/151229/wst1512290009-n1.html

(12)東洋史学大家・石濱にして「ほんまもんの芸術家は小出、信時や」
http://www.sankei.com/west/news/151222/wst1512220058-n1.html

(13)エンピツを倒して決めた? 東京音楽学校の受験…上京“広い舞台”へ
http://www.sankei.com/west/news/151231/wst1512310010-n1.html

(14)高き志「芸道は地味で苦難、覚悟を」…将来の変化まで予見?
http://www.sankei.com/west/news/160101/wst1601010001-n1.html

(15)東京時代の信時と小出…芸術家の卵、互いに刺激を受けて
http://www.sankei.com/west/news/160102/wst1601020001-n1.html

(16)20歳から交流、生涯の友・熊谷守一…ついには親戚に
http://www.sankei.com/west/news/160103/wst1601030001-n1.html

(つづく)

産経新聞大阪版連載「海道東征を紡ぐ 信時潔物語」WEB公開スタートの初回投稿(1)~(8)はこちら
http://noblogblog.blog.shinobi.jp/Entry/202/












 

 
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 










産経新聞大阪版(夕刊)で2015年8月31日から9月30日に全24回にわたって連載された
「海道東征を紡ぐ 信時潔物語」がWEB上で公開され始めました。


(1)神座しき、蒼空と…「この曲は必ず残る」、昭和37年歴史的“再演”
http://www.sankei.com/west/news/151219/wst1512190012-n1.html

(2)大阪に生まれ、原点は父・吉岡弘毅の剛と柔
http://www.sankei.com/west/news/151219/wst1512190013-n1.html

(3)異彩放つ“西洋の風”、偉大な音楽家育んだ大阪北教会
http://www.sankei.com/west/news/151221/wst1512210009-n1.html

(4)高知、京都、再び大阪へ…本物にふれ、洋楽の道拓く
http://www.sankei.com/west/news/151222/wst1512220012-n1.html

(5)米宣教師アレクサンダー家の賛美歌、幼い心に響いた
http://www.sankei.com/west/news/151223/wst1512230012-n1.html

(6)“覚悟の曲”「海ゆかば」、ルーツは賛美歌だった?
http://www.sankei.com/west/news/151223/wst1512230013-n1.html

(7)市岡中1期生、「規則はいらん」自由・不屈の校風に育まれ
http://www.sankei.com/west/news/151225/wst1512250006-n1.html

(8)「市岡の絆」が支えた同期生の画家、小出楢重
http://www.sankei.com/west/news/151226/wst1512260007-n1.html

(つづく)









『音楽現代』2015年12月号に、特別企画2
「没後50年・日本作曲界の父 山田耕筰&信時潔」が掲載されています。


音楽文化の日常化 山田耕筰と信時潔が日本の音楽界に遺したもの / 戸ノ下達也

山田耕筰の歩んだ道 ~次第に明らかにされつつあるその実像~ / 後藤暢子

信時潔の軌跡 77年の生涯、没後50年、そしてパブリックドメイン / 信時裕子

信時潔 交声曲「海道東征」の復活 / 新保祐司
11月3日(祝)、東京富士美術館で開かれた『ヴァイオリンとピアノで奏でる “花鳥風月” コンサート』で、信時潔作曲「小倉百人一首」より「久方の」「花の色は」の2曲が、ヴァイオリンとピアノ(各曲冒頭に朗読)で演奏されました。

原曲は、ベルリン留学中の大正9~11年に作曲された歌曲です。たびたび信時作品を演奏して下さっているピアニストの長谷川さんが、このコンサートのテーマに合わせて選曲したそうです。

その録画が、期間限定(約1か月)で公開されています。

URLはこちらです。11:30ぐらいからお話し、13:00から演奏が始まります。
http://www.ustream.tv/recorded/76888793

演奏は ヴァイオリン ◆MISAO♪ 
    ピアノ 長谷川芙佐子

詳細チラシ(PDF)
http://www.fujibi.or.jp/assets/tfam/files/pdf_event/fujibi_event_20151103.pdf



11月2日は北原白秋の命日。白秋の故郷柳川では「白秋祭」が行われるそうです。

『九州文学』41巻2号(1978年2月)風木雲太郎著「白秋祭のこと」
には、氏がおそらく1977年に聞いた、北原白秋作詩、信時潔作曲「帰去来」のことが書かれています。
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最後に参加者全員の「帰去来」の合唱があった。帰去来の詩もすばらしいが、信時潔の作曲も見事で深く心にひびき残った。「盲ふるに、早やもこの眼/見ざらむ、また葦かび/篭飼(ろうげ)や水かげろふ。」の節が歌われるとき、私の胸は哀しみでつまり、涙がにじんだ。久しぶりで聞く小学生たちの無邪気な澄みきった声が私の耳を美しく洗ってくれたせいかもしれない。
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 国立国会図書館デジタルコレクション
 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2316474/4
レファレンス協同データベースに「神社参拝の歌」(この静宮に静まりて)の記載がありました。
[転記用URL] http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000082478

すでに解決済みですが、初版譜があったのでこちらに書き留めます。

上記ページには
------------------------------
『東京芸術大学百年史 東京音楽学校編 2』(東京芸術大学百年史編集委員会編集 音楽之友社 2003)
p962 作曲依頼関係書類の中に、下記の記述あり。
p993「依頼年月日 昭和6年12月16日  依頼者 全国神職会 作曲者 信時潔 
備考〈神社参拝の歌〉。依頼者は東京音楽学校名義での作曲を希望。
歌詞の記述はなし。
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とありますが、このほかに 歌詞欄と楽譜欄に 〇印があり、
その資料は東京藝術大学附属図書館のマイクロフィルムに収録されています。

印刷譜の表紙の表示は
「神社参拝唱歌/財団法人全国神職会」

楽譜、歌詞が各1ページ掲載されています。
楽譜ページのキャプションは「神社参拝唱歌/全国神職会制定 東京音楽学校作曲」とあります。

奥付の表示は 
「昭和7年1月27日印刷、30日発行
発行所 財団法人全国神職会」とありました。


なお、この曲は信時潔の自筆譜がありますが、信時自筆で「東京音楽学校作曲」と記載されています。その楽譜の中に歌詞は書きこまれていません。楽譜は多少の音の違い(伴奏の一部の音の変更)はありますが、ほぼ同じとみて良いものでした。
2015年10月24日(土)、15時より、木下記念スタジオ(代々木上原駅徒歩3分)で、信時潔没後50年を記念してコンサートが開催されます。

東京音楽学校本科作曲部が出来てから最初の生徒だった柏木俊夫の作品と、信時作品が演奏されます。会場は沙羅などを全曲初演し、また海道東征を指揮した声楽家・木下保の旧宅、かつてのレッスン室。

小林仁(ピアニスト、東京藝術大学名誉教授)、柏木成豪(柏木俊夫子息)と、私・信時裕子の対談も予定されています。

信時作品演奏は「小倉百人一首より」「絃楽四部合奏」

座席数が限られていますので、事前に予約が必要です。

詳細はちらしをご覧ください。
http://home.netyou.jp/ff/nobu/2015KihoshitaS.pdf
土岐善麿作詞、信時潔作曲「われらの日本」(新憲法施行記念国民歌)をYOUTUBEにアップしたというご連絡をいただきました。

コーラス入りとカラオケ版があります。

案内ページ

コーラス入り

カラオケ版

信時潔著「作曲五人会の門出に寄せて」(1964.12.4 第1回「作曲五人展」プログラム)全文が、以下のサイトで紹介されています。

(Salidaのページです)
http://salida1.web.fc2.com/sakyokugoninkainituite.html

信時潔の門下生、弟子たち、信時楽派・・・などと書かれますが、「信時門下生名簿」のようなものがあるわけでなく、「信時に師事した」と公言している方の名前を拾っているに過ぎません。中には、作品を見てもらったことが(数回)あるとか、あるいは、学校では和声の授業をとった程度だが、いろいろな意味で影響を受けた、ということで「師・信時潔」と書いている方もあるようです。

先日、信時門下で終戦直前に亡くなった鬼頭恭一さんのテレビ番組を見た、という話を聞いたのですが、私は初めて聞く名前でした。

鬼頭恭一さんについて、加えてその最近の報道については以下のサイトにまとめられていました。
------------------------------------------------------
   日本の作曲家たち/ 10  鬼頭恭一 
   (岡崎隆さん制作のページです)
    http://www.medias.ne.jp/~pas/kitou2.html
------------------------------------------------------

東京音楽学校を卒業していないので、同窓会(同声会)名簿には載っていないのですが、以下の記事で、大中恩先生と同期で、信時門下だったことが確認できました。

  『同声会報』No.17 (東京藝術大学音楽学部同声会)
  http://doseikai.jp/issue/pdf/017.pdf

  p.12~ 「大中恩先生が語る東京音楽学校時代/澤野立次郎」



信時潔関連新聞記事等を整理中です。

「同心会」の名前は、『信時潔音楽随想集:バッハに非ず』の巻末の解説を書いた時にも目にしていますが、こんな記事を見つけたのでメモしておきます。

--------------------------------------------------

--「世界」という命名は、谷川徹三さんと聞いていますけれども。

緑川 同心会の席で、いろいろな意見が出た中で「世界」を谷川さんが提案して、「音としても非常にいい」と作曲家の信時潔さんが言ったというのです。それで「世界」と名前がつくんです。戦争を経験したなかで、文化をもっと国民大衆にしっかりと根付いたものにしなければいけないという、岩波茂雄の熱意こそが、総合雑誌「世界」を生んだといえます。

 毎日新聞 1995年4月16日 朝刊 21面

 岩波書店と文藝春秋1 「世界」創刊のころ--岩波書店相談役・緑川氏に聞く  より
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*-*-*-*-*
CD『SP音源復刻盤 信時潔作品集成
tenkai-web.jpg






企画・構成・復刻:郡 修彦
構成・解説:信時裕子
CD6枚組、別冊解説書
(B5変形判 全144頁)
15,750円(税抜15,000円)
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